本当に迷惑 その2
前回のブログで、「迷惑」と言う言葉には
「心が暗くとどまり、道に迷う」
と言う意味があることを紹介させていただきました。
※「本当に迷惑 その1」はこちらをご覧ください。
最近、非常によく聞く言葉で気になっているものがあります。それは
「子供に迷惑をかけたくないから葬式はやらなくて良い」
という言葉です。
葬式(葬儀)は迷惑なのでしょうか?
私も僧侶になる前は葬式(葬儀)なんてやらなくても良いと本気で考えていました。
しかし、葬式(葬儀)の意味を知ってからは「やらなくても良い」ではなく「やってもらいたい」と考えるようになりました。
それは、僧侶となって葬儀に出るようになると、
葬儀や法事で亡くなった方のことを想ってお参りすると、今を生きている私達がより良く生きることができることができると実感するようになったからです。
これは科学的(統計)に実証されていることです。

急に自分自身が暗闇の中に入ってしまったら、思うように進むことができずに迷ってしまいます。

しかし、そんな時に少しでも光があれば、どれだけ助かるのでしょうか。
葬儀や法事の際には残された家族は一心に手を合わせます。

その時、ろうそくに火をつけたり、

周囲を明るく照らしたりすることは珍しいことではありません。

この灯火こそが、暗くなってしまった私達の心に差し込む光を表しているのです。

やがてこの光は大きくなり、私たちの心を照らしてくれるのです。

しかし、残念ながら
「子供に迷惑をかけたくないから葬式はやらなくて良い」
という意見は少なくありません。
原因は
・これまでの葬儀や法事で、心が照らされる実感がない。
・お金の心配
・普段のお付き合いがないのに、葬儀の時だけ義理で参加するのも、参加してもらうことも苦痛
などが考えられます。
こういった考えにいたってしまったのには、これまでのお寺や僧侶のありかたが大きく影響しているように感じて反省しています。
心が照らされると実感できないことについては次の記事に記載させていただきました。
※次の記事はこちらです。
「心が暗くとどまり、道に迷う」
と言う意味があることを紹介させていただきました。
※「本当に迷惑 その1」はこちらをご覧ください。
最近、非常によく聞く言葉で気になっているものがあります。それは
「子供に迷惑をかけたくないから葬式はやらなくて良い」
という言葉です。
葬式(葬儀)は迷惑なのでしょうか?
私も僧侶になる前は葬式(葬儀)なんてやらなくても良いと本気で考えていました。
しかし、葬式(葬儀)の意味を知ってからは「やらなくても良い」ではなく「やってもらいたい」と考えるようになりました。
それは、僧侶となって葬儀に出るようになると、
葬儀や法事で亡くなった方のことを想ってお参りすると、今を生きている私達がより良く生きることができることができると実感するようになったからです。
これは科学的(統計)に実証されていることです。

急に自分自身が暗闇の中に入ってしまったら、思うように進むことができずに迷ってしまいます。

しかし、そんな時に少しでも光があれば、どれだけ助かるのでしょうか。
葬儀や法事の際には残された家族は一心に手を合わせます。

その時、ろうそくに火をつけたり、

周囲を明るく照らしたりすることは珍しいことではありません。

この灯火こそが、暗くなってしまった私達の心に差し込む光を表しているのです。

やがてこの光は大きくなり、私たちの心を照らしてくれるのです。

しかし、残念ながら
「子供に迷惑をかけたくないから葬式はやらなくて良い」
という意見は少なくありません。
原因は
・これまでの葬儀や法事で、心が照らされる実感がない。
・お金の心配
・普段のお付き合いがないのに、葬儀の時だけ義理で参加するのも、参加してもらうことも苦痛
などが考えられます。
こういった考えにいたってしまったのには、これまでのお寺や僧侶のありかたが大きく影響しているように感じて反省しています。
心が照らされると実感できないことについては次の記事に記載させていただきました。
※次の記事はこちらです。
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