本当に迷惑 その1
誰にも迷惑をかけません!
勉強をしないことを注意された子供が
「勉強なんてできなくても誰にも迷惑かけないじゃん!」
と言っている場面に遭遇したことが何度かあります。
最近、仏教語辞典に「迷惑」という言葉が出ていて驚きました。
迷惑 めいわく
と書いてありました。さらに、
とも書いてありました。

仏教には
自らを灯明とし、自らをたよりとして、法(仏教の教え)を灯明とし、法をよりどころとする
という意味がある自灯明・法灯明【じとうみょう・ほうとうみょう】 という言葉があります。
私達が幸せに生きていきたいと願うなら
自分の心の灯を大切にしなさい。と、説いているのです。
自らの灯で、自らの道を照らすことが大切なのです。

灯が消えれば、そこは闇に包まれ何も見えません。
この状態が「心が暗くとどまり、道に迷う」ことであり、このような状態が「迷惑」なのだと知りました。
「勉強なんてできなくても誰にも迷惑かけないじゃん!」
自分に必要な勉強をすることなく、自分の進む道が見えなくなってしまう状況こそが「迷惑」なのだと仏教語辞典に教えてもらうことができ、「誰にも迷惑かけないじゃん!」が改めて難しい事であり「迷惑をかけない」ように努力をするのではく、自分自身の心を灯にすることが大切なのだと感じました。
この記事には続きがあります。
※ 本当に迷惑 その2 「葬儀の心」はこちらをクリックしてください。
※ 本当に迷惑 その3 「合掌の心」はこちらをクリックしてください。
勉強をしないことを注意された子供が
「勉強なんてできなくても誰にも迷惑かけないじゃん!」
と言っている場面に遭遇したことが何度かあります。
最近、仏教語辞典に「迷惑」という言葉が出ていて驚きました。
迷惑 めいわく
単に「迷」ともいう。「悟」の対語で、真実の智慧がなく、道理に反したことに妄執することをいう。
と書いてありました。さらに、
中国・日本では,「迷」はものごとの道理をあやまり、「惑」は道理に明らかでないことと解釈されることもある。なお、漢語の本来の意味は、道にまよう、心が暗くまどっている、人をまどわすなどの意で、中国古典に多くの用例が見られる。
とも書いてありました。

仏教には
自らを灯明とし、自らをたよりとして、法(仏教の教え)を灯明とし、法をよりどころとする
という意味がある自灯明・法灯明【じとうみょう・ほうとうみょう】 という言葉があります。
私達が幸せに生きていきたいと願うなら
自分の心の灯を大切にしなさい。と、説いているのです。
自らの灯で、自らの道を照らすことが大切なのです。

灯が消えれば、そこは闇に包まれ何も見えません。
この状態が「心が暗くとどまり、道に迷う」ことであり、このような状態が「迷惑」なのだと知りました。
「勉強なんてできなくても誰にも迷惑かけないじゃん!」
自分に必要な勉強をすることなく、自分の進む道が見えなくなってしまう状況こそが「迷惑」なのだと仏教語辞典に教えてもらうことができ、「誰にも迷惑かけないじゃん!」が改めて難しい事であり「迷惑をかけない」ように努力をするのではく、自分自身の心を灯にすることが大切なのだと感じました。
この記事には続きがあります。
※ 本当に迷惑 その2 「葬儀の心」はこちらをクリックしてください。
※ 本当に迷惑 その3 「合掌の心」はこちらをクリックしてください。
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