知らないことを知らないと素直に言えることの素晴らしさ
先日のブログで「有難うと言える子になろう」と題して、
「なんで、この人はいつも幸せそうにニコニコしているのか疑問に感じて自分と何が違うのか観察をしていたら、相手はありがとうとよく言っていることに気がついた。」
という言葉を紹介しました。
※記事はこちらです

「ありがとう」と素直に言うことは簡単そうで意外と難しいと私は感じています。
しかし、知らないことを知らないと素直に言うことも難しいように感じます。
250年以上前に活躍をした白隠禅師【はくいんぜんじ】という和尚様が残したお話の中に「庵原の平四郎」というものがあります。
庵原とは現在の静岡市清水区にある地名です。「庵原の平四郎」とは、庵原に住む平四郎という男性の話しなのです。
少し乱暴に話をまとめますと、
と言った話です。
平四郎は白隠禅師と出会うことで、自身が修行も認められたことになりますので、平四郎が正式に禅の修行したわけではないにも関わらず、僅か3日間(もちろん大変な坐禅ですが・・・)で白隠禅師に認められるほどになったという部分が重要だと私は思っていました。
しかし、なぜ平四郎は白隠禅師と出会うことができたのかと考えると
「近所の和尚に相談したがよくわからなかった。」
という一文が深く関わってくるように思います。
平四郎が相談をした近所の和尚が、なにやら適当なことを言って平四郎を中途半端に納得させてしまっていたら平四郎は決して白隠禅師と出会うことはなかったのです。
近所の和尚がごまかすことなく「知らないことを知らないと素直に言える」方だったと私は勝手に想像をしています。
つい見栄を張ってしまったり、知らないと恥ずかしいと勝手に感じて「知らない」や「わからない」という言葉を素直に使うことができないときが私にはあります。
そんな、自分の見栄の為に目の前の人に間違ったことを言ってはならないと、白隠禅師は庵原の平四郎の話しの中に「近所の和尚に相談したがよくわからなかった。」と言う言葉を入れたのだと感じています。
だからこそ、「近所の和尚に相談したがよくわからなかった。」という一文を目にするたびに、
知らないことを知らないと素直に言えるようになろうと思うと同時、知らないことがたくさんあることを自覚しながら、知らないことや分からないことを減らしていくための努力を怠ってはいけないと思い出すようにしています。
「なんで、この人はいつも幸せそうにニコニコしているのか疑問に感じて自分と何が違うのか観察をしていたら、相手はありがとうとよく言っていることに気がついた。」
という言葉を紹介しました。
※記事はこちらです

「ありがとう」と素直に言うことは簡単そうで意外と難しいと私は感じています。
しかし、知らないことを知らないと素直に言うことも難しいように感じます。
250年以上前に活躍をした白隠禅師【はくいんぜんじ】という和尚様が残したお話の中に「庵原の平四郎」というものがあります。
庵原とは現在の静岡市清水区にある地名です。「庵原の平四郎」とは、庵原に住む平四郎という男性の話しなのです。
少し乱暴に話をまとめますと、
庵原に平四郎という男がいた。
強い心を持って修行する者はアッという間に悟ることができると聞く。
風呂場で必死に坐禅をした。
妄想と3日間戦いながら坐禅を続けた所、何か感じることがあり、不思議な感覚になった。
近所の和尚に相談したがよくわからなかった。
そこで平四郎は、白隠禅師に会いに行ったところ平四郎の考えは正しいと言ってもらえた。
と言った話です。
平四郎は白隠禅師と出会うことで、自身が修行も認められたことになりますので、平四郎が正式に禅の修行したわけではないにも関わらず、僅か3日間(もちろん大変な坐禅ですが・・・)で白隠禅師に認められるほどになったという部分が重要だと私は思っていました。
しかし、なぜ平四郎は白隠禅師と出会うことができたのかと考えると
「近所の和尚に相談したがよくわからなかった。」
という一文が深く関わってくるように思います。
平四郎が相談をした近所の和尚が、なにやら適当なことを言って平四郎を中途半端に納得させてしまっていたら平四郎は決して白隠禅師と出会うことはなかったのです。
近所の和尚がごまかすことなく「知らないことを知らないと素直に言える」方だったと私は勝手に想像をしています。
つい見栄を張ってしまったり、知らないと恥ずかしいと勝手に感じて「知らない」や「わからない」という言葉を素直に使うことができないときが私にはあります。
そんな、自分の見栄の為に目の前の人に間違ったことを言ってはならないと、白隠禅師は庵原の平四郎の話しの中に「近所の和尚に相談したがよくわからなかった。」と言う言葉を入れたのだと感じています。
だからこそ、「近所の和尚に相談したがよくわからなかった。」という一文を目にするたびに、
知らないことを知らないと素直に言えるようになろうと思うと同時、知らないことがたくさんあることを自覚しながら、知らないことや分からないことを減らしていくための努力を怠ってはいけないと思い出すようにしています。
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