大般若シリーズ【6】 大きいだけではありません。
幼い頃、小学校や中学校では学級会などの話し合いでは「大きな声」を出す人の意見が通ることが多かったように感じます。しかし、年齢を重ねるごとに決して「大きな声」だけが正しいのではないことに気がついてきます。
東光寺(静岡市清水区横砂)では、毎月1月7日に大般若祈祷会が行われます。お寺関係者の間では大般若【だいはんにゃ】と呼ばれている行事です。
この法要は1300年以上続くもので、六百巻にもなる「大般若経【だいはんにゃきょう】」という経典を読み、その功徳によって全ての障害が取り除かれ仏道が成就することを祈る儀式です。
※過去の開催報告では写真も使って方法全体の流れを説明していますので、興味のある方はご覧ください。

先日から、大般若祈祷会【だいはんにゃきとうえ】の法要でお経の本をパラパラとめくる、転読【てんどく】というものがあることを紹介させていただいています。
※以前の記事
転読 その1「叫んで パラパラして また叫ぶ! すごい迫力だったね!!」
転読 その2「パラパラの風」
転読 その3「降伏一切大魔最勝成就」
はこちらにございますので興味のある方は読んでいただければと思います。
大般若祈祷会【だいはんにゃきとうえ】を経験した方に
「叫んでたね~!!」
声をかけていただくことは多くあります。
確かに大きな声を出していますし、大きな声を出すのにも意味があります。
※詳しくは【転読 その3「降伏一切大魔最勝成就」】をご覧ください。
しかし、大般若祈祷会の間 ずっと大きな声を出している訳ではありません。
反対に「できるだけ小さな声」を出す場面もあります。
大般若祈祷会の法要では転読だけでなく、般若心経など多くのお経や御詠歌をお唱えしたり、お供え物をしたり、焼香をしたりと様々なことが行われています。
そして、最後に1人の和尚がお唱えするのが回向【えこう】です。
回向はどのような法要でも必ず唱えられるものですので、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
といった意味があります。
つまり、読経など様々な功徳(善い行い)が自分の為だけではなく、全ての人達の為になりますように祈るのが回向です。
この回向は、ある程度の決まりがあります。
大般若祈祷会では「祈祷回向」を唱えます。

この回向も普段ですと多少の強弱はありますが基本的には堂々と唱えます。
しかし、祈祷回向では「できるだけ小さな声」で唱える場所があります。
それは導師(法要の中心となる和尚)の名前です。
それまで堂々と唱えていた声が、この部分だけは小さな声になります。
そして、その後の回向は再び堂々とお唱えをします。以前
「小さい声にすることで謙虚さを示す」
と教わったことがあります。
仏教語辞典にも回向について
との一文があるように、自己を消していくことの大切さが「小さな声」に込められています。
「だったら、最初から入れなければいいじゃないか!」
と思う方もいると思います。
「これ、つまらない物ですが」
と何かを差し出されたとき
「え、つまらない物を私に渡すの!? ふざけるな! だったら何も持ってくるな!!」
と怒るのか、それとも
「謙虚な姿勢で接してくれている。つまらないと言っても気をつかってくれているに違いない」
と相手を想いにっこりと笑うことができるか、どちらが幸せかと聞かれれば、私は後者だと考えています。
ですから、小さな声なら入れなくても良いのではなく、必要な小さな声だと感じていますし、聞こえなくらい小さな声が聞こえたとき、その小さな声の中の大きな教えを感じられるように心を調えておきたいとも考えています。
東光寺(静岡市清水区横砂)では、毎月1月7日に大般若祈祷会が行われます。お寺関係者の間では大般若【だいはんにゃ】と呼ばれている行事です。
この法要は1300年以上続くもので、六百巻にもなる「大般若経【だいはんにゃきょう】」という経典を読み、その功徳によって全ての障害が取り除かれ仏道が成就することを祈る儀式です。
※過去の開催報告では写真も使って方法全体の流れを説明していますので、興味のある方はご覧ください。

先日から、大般若祈祷会【だいはんにゃきとうえ】の法要でお経の本をパラパラとめくる、転読【てんどく】というものがあることを紹介させていただいています。
※以前の記事
転読 その1「叫んで パラパラして また叫ぶ! すごい迫力だったね!!」
転読 その2「パラパラの風」
転読 その3「降伏一切大魔最勝成就」
はこちらにございますので興味のある方は読んでいただければと思います。
大般若祈祷会【だいはんにゃきとうえ】を経験した方に
「叫んでたね~!!」
声をかけていただくことは多くあります。
確かに大きな声を出していますし、大きな声を出すのにも意味があります。
※詳しくは【転読 その3「降伏一切大魔最勝成就」】をご覧ください。
しかし、大般若祈祷会の間 ずっと大きな声を出している訳ではありません。
反対に「できるだけ小さな声」を出す場面もあります。
大般若祈祷会の法要では転読だけでなく、般若心経など多くのお経や御詠歌をお唱えしたり、お供え物をしたり、焼香をしたりと様々なことが行われています。
そして、最後に1人の和尚がお唱えするのが回向【えこう】です。
回向はどのような法要でも必ず唱えられるものですので、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
回向【えこう】
「廻向」とも書く。
変化、回転、転換の意味がある。
仏教では自己の善行の結果である功徳を他に廻(めぐ)らし向けるという意味に使われる。
といった意味があります。
つまり、読経など様々な功徳(善い行い)が自分の為だけではなく、全ての人達の為になりますように祈るのが回向です。
この回向は、ある程度の決まりがあります。
大般若祈祷会では「祈祷回向」を唱えます。

この回向も普段ですと多少の強弱はありますが基本的には堂々と唱えます。
しかし、祈祷回向では「できるだけ小さな声」で唱える場所があります。
それは導師(法要の中心となる和尚)の名前です。
それまで堂々と唱えていた声が、この部分だけは小さな声になります。
そして、その後の回向は再び堂々とお唱えをします。以前
「小さい声にすることで謙虚さを示す」
と教わったことがあります。
仏教語辞典にも回向について
善行を単に自己の功徳としただけでは真の功徳とはならず、それを他の一切のものに振り向けることによって、完全な功徳になるという大乗仏教の思想がここにある
との一文があるように、自己を消していくことの大切さが「小さな声」に込められています。
「だったら、最初から入れなければいいじゃないか!」
と思う方もいると思います。
「これ、つまらない物ですが」
と何かを差し出されたとき
「え、つまらない物を私に渡すの!? ふざけるな! だったら何も持ってくるな!!」
と怒るのか、それとも
「謙虚な姿勢で接してくれている。つまらないと言っても気をつかってくれているに違いない」
と相手を想いにっこりと笑うことができるか、どちらが幸せかと聞かれれば、私は後者だと考えています。
ですから、小さな声なら入れなくても良いのではなく、必要な小さな声だと感じていますし、聞こえなくらい小さな声が聞こえたとき、その小さな声の中の大きな教えを感じられるように心を調えておきたいとも考えています。
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