子供に坐禅会で話したこと 第286番 両目を施した王 【仏教説話28】
子供坐禅会(平成29年冬休み:テーマは仏教説話)で話した内容を紹介させていただきます。今回は
仏教説話シリーズ その28 【両目を施した王】
です。

東光寺(静岡市清水区横砂)の子供坐禅会では毎回お寺や仏教に関係する話しをしています。
そして、話の内容にあった「仏教豆知識シール」を参加者に配布しています。
自分自身の備忘録も兼ねて紹介させていただきたいと考えています・・・・
私は僧侶になってから悩むことがあります。
それは、アンケートなどで職業を聞かれたときです。
「僧侶」と記入できれば良いのですが、「次の中から選びなさい」と選ばなくてはいけない時に悩むことがあります。
選択肢の中に「僧侶」「宗教家」といった選択肢があるアンケートはとても少ないのです。
「自営業」や「サービス業」など、一番近いのは何か悩むことがよくあります。
しかし、お寺はサービス業ではありません。
サービス業のお店などでお金を払って物を買った時などニコッと笑ってありがとうございましたと言われることが多いのに、お寺でお賽銭を入れた時にお坊さんがニコッと笑ってありがとうございますと挨拶をしてくれたことを見たことがある人はほとんどいないと思います。
なぜ、ありがとうございました!と言わないのかを表した話しが「両目を施した王」というお話です。
昔々のお話です。
ある所に、とても心優しい王様がいました。
貧しい者が、食べ物が欲しいと言えば食べ物を分け与え、修行者が来れば修行者のために王様ができることを精一杯していました。
そのため国民は王様のことを大変に尊敬しお城にはいつも王様に助けを求める人達が来ていました。
王様は助けを求めるみんなを助け続けていました。
ある時そんな王様が本当に心からみんなのことを思って行動しているのか、帝釈天と言う神様が試してみようと思いました。
帝釈天は自分の姿を大きな鷲【ワシ】に変えて王様のもとへ行きました。
そして王様に向かって
「私は普段鳥の目でしか世界を見ることができない。人間の目で世界を見てみたいからお前の目をくれ!お前の目を布施【ふせ】してくれ」
と言ったのです。
普段から人々に布施をしていた王様は何も迷うことなく喜んで自分の目を差し出しまた。
すると帝釈天(鷲)はその姿を見て、本当にこの王様は心からみんなのことを思って行動しているのだと感動し、王様の目を元に戻したそうです。
このお話の重要な部分は「両目を出せ」言ったところだと思います。
手でもない、足でもない、鼻でもない、口でもない、目を差し出させたのです。
目を差し出すと、もう何も見えません。
普段から食べ物を分けてあげたとき、分けてもらった人がありがとうと感謝する姿を王様は目にしたでしょう。
しかし自分の目を与えてしまったら、もらった相手がその目をどのように使うかを知ることはできません。
それでも自分の目を差し出すことがとても重要なのです。
仏教では布施の心を大切にします。
いま自分にできることを精一杯すること、見返りを求めないことを大切にするのです。
「食べ物を分けてあげたのに、あいつはお礼も言わない、喜んだ顔も見せない」
などと思ってはいけないのです。
「ありがとう」という見返りを期待していることになってしまうのです。
何かを分けた時、相手がどのような態度をとるのかなど気にすることなく、今自分にできることを精一杯することが大切だと仏教では教えているのです。
つまり目を差し出すことができれば、その目で相手がどんなことをするのか見ることができません。それでも自分の目を差し出すことができれば、それこそが本当の布施だと帝釈天は伝えたかったのだと思います。
もちろん誰かに目をくれと言われたから目を出しなさいと言っているのではありません。見返りを求めないことが大切だと両目を施した王という話が教えてくれているように感じます。
お寺がサービス業ではない理由にお賽銭のお話をしました。
お賽銭を入れた時、和尚さんがありがとうございましたとニコッと笑うことはありません。
それはお寺が、みなさんにサービスを提供する場所ではなく、皆さんが修行をしてよりよく人生を生きていただくため様々なことを学ぶ場所だからです。
「ニコッと笑ってほしい」、「ありがとうございますという言葉」などの見返りを期待しないで自分の持っているものを差し出す練習をする場所がお寺のお賽銭ということになるのです。お寺がサービス業であれば、「ありがとうございました!」とニコッと笑って、その後「また来てくださいね!」などと言ってお賽銭をたくさん出していただこうとするのですが、お寺はサービス業ではありませんので、ニコッと笑ってお礼を言わないのです。
お賽銭を入れることによって布施の心を学ぶ。これこそが両目を施した王という話が伝えてくれていることなのだと思います。
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