子供坐禅会の目標は 坐禅会が無くなることです【その4】
悩みがあるからお寺(宗教)がある 世の中から悩みが無くなればお寺(宗教)はいらない

たくさんの子供達は「子供坐禅会」に参加をしてくれているのですが・・・
私は子供坐禅会の究極の目標は坐禅会が無くなることだと考えています。
「廃れる【すたれる】」ではなく「嫌になる」でもなく、「必要なくなる」ことだと考えています。
東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
臨済宗妙心寺派の生活信条には
「1日1度は静かに坐って、身と呼吸と心を調えましょう」
という仏教の基本的な考えとも言える言葉があります。
「静かに坐る」は坐禅と読み換えることもできますので、
坐禅をすることによって、身と呼吸が調い、自然と心も調ってくる
と言い換えることもできます。
子供達に、この言葉を実感してもらいたいとの想いがあって、私は子供坐禅会を行っています。
また、「仏教」や「宗教」とは何かを考えたとき
仏教や宗教は、今を生きる人がどうしたら幸せに生きて行けるのかを学ぶ場所だ
という言葉を思い出します。
悩みがあって、その悩みを解決するために宗教がある
というのです。
逆転の発想をすれば、誰もが悩むことなく幸せに生きて行くことができるのならば「仏教」や「宗教」は必要なくなるのです。
と、考えるならば
子供坐禅会が必要無くなると言うことは、子供達が本当に幸せに生きて行くことができる世の中であるはずです。

しかし、
という言葉にもあるように、私達の悩みは尽きることがありません。
ですから、東光寺の子供坐禅会は今後も「必要なくなる」ことを目標に末永く続けていきたいと考えています。

たくさんの子供達は「子供坐禅会」に参加をしてくれているのですが・・・
私は子供坐禅会の究極の目標は坐禅会が無くなることだと考えています。
「廃れる【すたれる】」ではなく「嫌になる」でもなく、「必要なくなる」ことだと考えています。
東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
臨済宗妙心寺派の生活信条には
「1日1度は静かに坐って、身と呼吸と心を調えましょう」
という仏教の基本的な考えとも言える言葉があります。
「静かに坐る」は坐禅と読み換えることもできますので、
坐禅をすることによって、身と呼吸が調い、自然と心も調ってくる
と言い換えることもできます。
子供達に、この言葉を実感してもらいたいとの想いがあって、私は子供坐禅会を行っています。
また、「仏教」や「宗教」とは何かを考えたとき
仏教や宗教は、今を生きる人がどうしたら幸せに生きて行けるのかを学ぶ場所だ
という言葉を思い出します。
悩みがあって、その悩みを解決するために宗教がある
というのです。
逆転の発想をすれば、誰もが悩むことなく幸せに生きて行くことができるのならば「仏教」や「宗教」は必要なくなるのです。
と、考えるならば
子供坐禅会が必要無くなると言うことは、子供達が本当に幸せに生きて行くことができる世の中であるはずです。

しかし、
はけば散り
払えばまたも塵積る
庭の落ち葉も 人の心も
という言葉にもあるように、私達の悩みは尽きることがありません。
ですから、東光寺の子供坐禅会は今後も「必要なくなる」ことを目標に末永く続けていきたいと考えています。
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