衣をみる目を変えさせなければ我々の発展はない
衣をみる目を変えさせなければ我々の発展はない
衣を着た方が病院へお見舞いに行くと、どうも誰かが死んだのではないかととられる。それでやはり洋服を着て行かざるを得ないとどなたかの話で拝聴したことがありますが、一般の人達は我々の衣に対して、そのような受け取り方をしているということは残念なことです。衣を着たものがはずかしくない社会的行動も、寺院の経営も十分果たせる人材を養っていくことが根本的に必要だと思います。今、世間の人々がお坊さんというものを見る目はどうだろうか。そのみる目を変えていかなければ我々の発展はないと思います。

約30年前(平成元年10月発行)の会報【臨済宗青年僧の会が発行する「不二」】に掲載された
黄檗宗管長 奥田行朗猊下の「社会の期待に答える人材養成を」
という記事の中の一文です。
以前、作務着で知人のお見舞いに言って、知人に迷惑がられたことを思い出しながら記事を読みました。
知人に
「坊さんが病院を歩いているだけで縁起が悪そうだよね」
と言われ、
「縁起が悪い事なんかないのに・・・」
としか言えず、しっかりと返す言葉がありませんでした。
「世間の人々がお坊さんというものを見る目はどうだろうか。そのみる目を変えていかなければ我々の発展はないと思います。」
という言葉に出会ったとき、世間を変えるように努力をするのではなく、自分自身が変われることによって世間が変わる。世間が変われば世界が発展していく。つまり、
「まずは自分自身が変わっていく」ということの大切さを改めて感じることができました。
※奥田行朗猊下の「社会の期待に答える人材養成を」はこちら(臨済宗青年僧の会ホームページ)でご覧になっていただけます。

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