布施の心は気軽な気持ち
禅の教えを分かりやすく説いた禅僧として有名な、山田無文老師の著書 「坐禅和讃講話」の中の
無難禅師は「三文の布施をする者無く、三文の布施を受くるものなし」と言っています。
何万円の大金でも、たった三文をあたえるくらいな、気軽な気持ちで布施ができなければならず、またたった三文を受け取るくらいな気安いこだわりのない心で、受けなければならないというわけです。
という一文に出会ったとき、小学生の子供を持つ女性が

子供がお小遣い帳をつけていて「10円足りないけど何に使ったか分からない」と悲しんでいたけど、一生懸命1ヶ月の行動を思い出してみた結果、お参りに行ったときにお賽銭を入れたことをすっかり忘れていた。お賽銭のことはなかなか思い出せないものだ。
と話していたことを思い出しました。
聞けばその子供のお小遣いは月に100円とのこと。
未熟者の私がもしも月給の1/10をお賽銭に入れたら、しばらくは忘れることはありません。
しかし、この子供はすっかり忘れていたのです。 まさに、気軽な気持ちで布施ができていたのです。
「働いたことがないからお金の価値が分からないだけだ」
という方もいると思いますが、お賽銭を入れたことをすっかり忘れてしまった姿から、大人である我々が何を学ぶかが大切なのだと感じる今日この頃です。
- 関連記事
-
- 閻魔大王の怒りと地獄の変化 【その2】 (2017/11/16)
- 閻魔大王の怒りと地獄の変化 【その1】 (2017/11/15)
- 布施の心は気軽な気持ち (2017/11/14)
- スリッパをそろえるところから (2017/11/10)
- 私のバランス (2017/11/08)