丸見えの自分
先日のブログでは「人として本当の姿が仏様」と題して
と紹介させていただきました。
※昨日の記事はこちらです。
そして、その翌日に
と書きました。
※その記事はこちらです。
「ム」を使う字は他にもたくさんあります。
その中に「公:おおやけ」もあります。

「公」は国家や社会、そして偏らないことを意味する漢字です。
この漢字は決して、このように(↓↓↓)は書きません。

上がフタを表す状態になってしまっています。
この隙間がポイントです。

必ず隙間が空いています。
この隙間はフタに穴が開いていることを示しています。
つまり、「公:おおやけ」は
穴の開いたフタを意味する「八」と、「自分を表す古い字」である「ム」が重なってできているのです。
国家や社会の為に働くことだけでなく、偏らないことを示す「公」は
フタに穴をあけることで、いつでも本当の自分を表す「ム」を外から見えるようにすることを意味しているのです。
と、言うことは本来の自分を表す「ム」が見えないほど小さくなればバランスは悪くなります。

さらに、「公」が「社会」を表すのであれば、本来の自分である「ム」はいつでも穴が開いていて見られていることになりますので、
本来の自分「ム」をいつ見られても恥ずかしくないように保たなければ、社会の中で生きて行くことが難しいことも「公」という漢字が教えてくれているように感じます。
「イ:ニンベン」はその名の通り「人」を表し
「ム」は「自分を表す古い字」
ということは
「仏」という字は「人間(人)としての本当の自分」
と紹介させていただきました。
※昨日の記事はこちらです。
そして、その翌日に
私と言う字は「ム」と「禾:のぎへん」からできています。
「禾:のぎへん」に稲や麦を表し、現代で言う「お金」や「生活するうえで便利なもの」などの意味も含まれているので、
「ム」と書く本当の自分と同じくらいの大きさ、身の丈に合った「禾」があれば十分なのに、どうして「禾」が大きくなりバランスが崩れてしまいます・・・
と書きました。
※その記事はこちらです。
「ム」を使う字は他にもたくさんあります。
その中に「公:おおやけ」もあります。

「公」は国家や社会、そして偏らないことを意味する漢字です。
この漢字は決して、このように(↓↓↓)は書きません。

上がフタを表す状態になってしまっています。
この隙間がポイントです。

必ず隙間が空いています。
この隙間はフタに穴が開いていることを示しています。
つまり、「公:おおやけ」は
穴の開いたフタを意味する「八」と、「自分を表す古い字」である「ム」が重なってできているのです。
国家や社会の為に働くことだけでなく、偏らないことを示す「公」は
フタに穴をあけることで、いつでも本当の自分を表す「ム」を外から見えるようにすることを意味しているのです。
と、言うことは本来の自分を表す「ム」が見えないほど小さくなればバランスは悪くなります。

さらに、「公」が「社会」を表すのであれば、本来の自分である「ム」はいつでも穴が開いていて見られていることになりますので、
本来の自分「ム」をいつ見られても恥ずかしくないように保たなければ、社会の中で生きて行くことが難しいことも「公」という漢字が教えてくれているように感じます。