言葉を選ばない
禅の言葉に 「不立文字」という言葉があります。
決して文字が不要ということではありません。
文字や言語には限界があり、それだけでは十分に表現できないものがあることを示す言葉です。

先日、ある寄稿文を拝読させていただきました。
それは、「わらび座」という劇団のエグクティブマネージャーの方が書かれた文章でした。
このわらび座は秋田県仙北市で「あきた芸術村」を中心に活動し年間約1000回の公演をされているとのことでした。
この劇団は東日本大震災後に被災地での公演を行ったそうです。
その際にセリフの中に
「水の下には亡くなった人の国がある」
というものがあったそうです。
多くの方が津波に巻き込まれて亡くなっています。
このセリフをどうしたら良いのか悩んだそうです。
しかし、セリフは単独で成立をしているわけでもなく、前後の流れに関連しかなり綿密に練られたもので変えることはできなかったそうです。
「やるしかない!」と決断し、そのまま進行をさせたそうです。
すると、アンケートに、子供と旦那様を亡くした女性から
「このセリフに感動したこと、そして旦那様とお子様も水の下に国を作っていると思えて私も負けていられないと感じたこと」
が書いてあったそうです。
「水の下には亡くなった人の国がある」という言葉だけを考えればセリフを無くしてしまえば問題は減るかもしれません。しかし、小手先のごまかしではいけないのです。
「不立文字」は文字だけでは表現できないから大切な教えを伝えなくてもよいという意味ではもちろんありません。
やるべきことを精一杯することができていれば文字で表現できなくても大切なことは伝わることを示しています。
真剣に劇や台本と向き合ったからこそ、つらい思いをした方にまで大切な心が伝わったのだと感じました。