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夏と飛行機と禅定

私は飛行機が好きです。



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乗るのも、見るのも、想像するのも好きです。



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さて、夏と言えば海を連想する方は少なくないと思います。




私自身も夏休みに海がにぎわっているニュースを見ると羨ましい気持ちになることもあります。



しかし、私は今年の夏、水辺でのニュースで一番印象に残っているのは琵琶湖でのニュースです。それは、琵琶湖で行われた鳥人間コンテストでの出来事です。




40年の歴史のある大会ですのでご存知の方も大勢いらっしゃるかと思います。




今年の大会で、とうとう人力プロペラ部門で40kmの記録が出たのです。私も中学校時代からこの鳥人間コンテストが好きで、友人達とチームを作って大きくなったら参加できるように小遣いを出し合って貯金もしたことがありました。




今年40kmの記録を出したこの大会ですが、40年前の第1回大会は人力部門がなく、飛行機を持って飛び出していく滑空部門だけでした。優勝記録が100mにも届きませんでした。開催10年目に滑空部門だけでなく人力プロペラ部門が登場します。当時としても記録は飛躍的に伸び500mを突破しました。その後、参加者達の努力や経験が積み重なれて記録は少しずつ伸びていきました。




40kmという記録はとてもすごいものです。途中から記録が伸びすぎて琵琶湖を渡り切ってしまうようになり、折り返しのルールができ、高さ10mのスタート台から琵琶湖を突っ切り、折り返してスタートまで戻ってくると40kmになるのです。琵琶湖に縁がない私は数字だけ聞いてもピンときませんが、清水港から土肥を結ぶ駿河湾フェリーが30kmですので、ここから伊豆へ渡るよりも長い距離を手作りの人力飛行機で飛んだことになるのです。




 そして、この記録を達成した男性にも物語がありました。学生時代に鳥人間コンテストに出たいと考えますが書類審査で落選してしまいます。その後、社会人になっても夢を諦めきれず、数年間たった1人で飛行機を作り続けます。やがて、会社の協力もあり就業時間外に会社の仲間と活動を続け、とうとう昨年の大会に出場し好記録をだします。その後も昼休みも返上し飛行機の作成やパイロットとしてペダルをこぎ続ける練習など努力を続けた結果、前人未到の40kmの大記録を打ち立てたのです。




 もちろん、自分の時間を投げうって続けた努力や、体調管理、書類審査で落ちても数年間挑戦し付ける努力など多くの努力がこの記録を作り出したことは間違いないのですが、同じ人が同じ機体で清水港を出発して駿河湾を越えて土肥港まで行きつくことができるのかと言えば、行けるとは言い切れないそうです。




比較的穏やと言われる駿河湾でも波が立ち、風が出れば30kmを渡り切れそうにありません。ましてや荒海では、これまでのどんな努力をも飲み込んでしまうのです。






禅の心を一般の方々に分かりやすく説いた山田無文老師は著書「白隠禅師坐禅和讃講話」の中で、



それ魔訶衍の禅定は 称嘆するに余りあり




という部分のことを、





祈祷も断食も加行も奉仕も、あらゆる宗教道徳の一切の善行がことごとくこの禅定の二字に帰するのであります。言葉を変えれば、禅定の二字から出てくるのであります。

宗教道徳の世界のみならず、社会生活のあらゆる面が、禅定をはなれてはありえないことを「それ魔訶衍の禅定は 称嘆するに余りあり」と、ほめたたえられたのであります。






と説かれています。




禅定 という言葉をもう少し詳しく説明しますと、



心静かに瞑想し,真理を観察すること。またそれによって心身ともに動揺することがなくなり安定した状態ということができます。




 よく仏教の例えとして私達の心を池などの水面に例えます。心が乱れてしまっているときは水面が波立って荒れ、禅定、つまり心が調っている状態を穏やかな水面に例えます。






様々な努力を重ねて手作りの飛行機で飛び出しても、水面が乱れれば記録が出ないように、私達は努力を重ねると同時に心を調えていく必要があるのです。鳥人間コンテストでは湖面の乱れとこれまでの努力が必ずしも結びついてきませんが、我々の生活では




一切の善行がことごとくこの禅定の二字に帰り、禅定の二字から出てくる。




という言葉で表わされるように、善い行いが私達の心に届き、その心に私達は支えられて生きていくことができるのです。





 私達は禅定という言葉を聞くと自分にはなんだか難しそうだと感じてしまいます。




しかし、禅定やそれにつながる実践をすることができる行がお寺には数多くあります。お寺での坐禅会や写経会なども、もちろん心を調える大切な実践の場所です。




 仏教には坐禅や写経だけでなく私達がご先祖様からいただいた尊い習慣やお寺での行事にこそ大切な実践があり、そのどれもが「禅定」へとつながっているのです。





皆様もお盆や年末、そしてお彼岸の季節にはお寺やお墓に御参りをするという尊い習慣がございます。御先祖様から受け継いだ素晴らしい習慣を守りながら、お寺で行われている坐禅会や写経会など様々な行事・法要に御参加いただければと考えています。全ての行事・法要が禅定につながる実践の場であり、どんな行事・法要にも御先祖様が大切にしてきた仏教の教えがつまっています。 ぜひ、自ら一歩を踏み出し貴重な実践を一緒にしていただければと願っています。

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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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