今 命あること 有難し

先日、祖父の妹(大叔母:おおおば)が亡くなったのと連絡を受けお参りへ行きました。
幼いころから実家である東光寺(静岡市清水区横砂)の行事のたびに手伝いに来てくれ、様々なことを教わったことや、祖父と話をしている姿が印象に残っています。
大変お世話になった大叔母様でしたが、大叔母様の若い頃のことを意外と何も知らないことに気がつきました。
それは、葬儀終了後の払いの席での親族が用意してくださった故人の幼い頃の写真を見たときに気がつきました。

1枚の写真は祖父の弟が出兵するときの写真でした。お寺の山門付近で撮影された写真や庭で撮影された写真などがありました。
祖父や大叔母様が戦争の話しをしているところを私は聞いたことがありませんでした。ましてや兄と妹で兄弟が戦争へ行くときに見送ったことなど聞いたことはありませんでした。

さらに、当時大叔母様が受け取った封筒に貼られた切手も戦争を感じさせるものでした。
これらの写真を見たとき祖父も大叔母様も戦争を体験し、命をつなぐことができ、さらに子供に恵まれたからこそ私自身の命、そして親戚達の命が今ここにあるのだと感じました。
生前に戦争のことを含めて教えていただく機会がなかったことでも、写真やノートを見たときに様々なことを教えてくれること、そして「ありがとう」の語源とも言われる
「今命あることありがたし」
を実感させていただきました。