施餓鬼で食事をいただく覚悟!! その3
夏になると「施餓鬼【せがき】」と言う言葉を耳にする人もいるのではないでしょうか。

今回は この施餓鬼と食事の関係について書こうと考えたのですが、いっぺんに書くと文字数が増えすぎてしまうので3回にわけて書こうと考えています。
本日はその3回目です。
1回目は施餓鬼の説明(施餓鬼とは餓鬼に施す儀式)
2回目は施し方
について書きました。
※前回の記事はこちらです→【その1】【その2】
施餓鬼とは餓鬼に施す【ほどこす】儀式です。
阿難尊者に餓鬼道に落ちない方法を聞かれたお釈迦様が「多くの餓鬼や僧侶に食べ物や水などを供え供養(布施)すれば救われる」と説いたことに由来する行事です。
そして施す(布施する)ときに
・施す者
・施される者
・施物
それぞれが清浄であることが求められています。
僧侶として施餓鬼の法要に出頭【しゅっとう:参列すること】をすると、法要後に食事を出していただくことが多くあります。
東光寺(静岡市清水区横砂)も、周辺の多くの寺院も法要後に僧侶に食事を提供し、参列した檀信徒にお弁当などの食事を出すことが多くあります。
私はこの法要後の食事を頂くたびに、緊張をします。
それは、この食事も施餓鬼の法要の一環なのだと考えているからです。
施餓鬼の由来に、僧侶に食事を布施すること
が含まれているのです。ですから、お経を唱え洗った米や水をお供えするだけでなく最後の食事も大切な法要の一部だと思うのです。
さらに、食事を布施するのですから、布施が成り立たなくてはいけません。
・僧侶のことを思い施してくださる方
・用意してくださった食事
この2つは清浄であることは間違いありません。
しかし、
施される者 (つまり私)が清浄でなくては・僧侶のことを思い施してくださる方の思いや用意してくださった食事を無駄にしてしまいます。
もちろん、食べている最中だけ意識をしても意味がありません。僧侶としての生き方が問われているのだと感じますので、各寺院で、本当に今の自分の生き方は正しいのか考えながら食事をいただいています。
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