施餓鬼で食事をいただく覚悟!! その2

夏になると「施餓鬼【せがき】」と言う言葉を耳にする人もいるのではないでしょうか。
今回は この施餓鬼と食事の関係について書こうと考えたのですが、いっぺんに書くと文字数が増えすぎてしまうので3回にわけて書こうと考えています。
本日はその2回目です。
前回は施餓鬼の説明(施餓鬼とは餓鬼に施す儀式)を書かせていただきました。
※前回の記事はこちらです(その1 施餓鬼の説明)
施餓鬼とは餓鬼に施す【ほどこす】儀式です。
施すことを布施【ふせ】と言います。
布施は見返りを求めず自分にできることを誰かの為に行うことです。
そして、布施が成立するためにはある条件を満たす必要があります。
それは
・施す者
・施される者
・施物
それぞれが清浄であり、執着の心を離れていることです。
お釈迦様は「多くの餓鬼や僧侶に食べ物や水などを供え供養(布施)すれば救われる」とおっしゃいました。
しかし、多くの餓鬼に食べ物や飲み物を御供えしなくていけないはずなのに、施餓鬼の法要の為に用意されている
洗ったお米(洗米)はたいてい、1~2合、
水は500ml程度です。
これで足りるのでしょうか。
多くの餓鬼に施すのだから、米も水も台からあふれるほどたくさん必要ではないのか。私は施餓鬼の由来を初めて聞き、御供えされているお米や水を見たときに正直に言いますと、「これじゃ足りないなぁ」と思ってしまいました。
しかし、そうではないのです。前回の記事で施餓鬼の法要は
お米やお水をお供えすることによって供養すると同時に、水一滴・お米一粒でも満足することができるはずの自分の心を見つめ直
す法要。
と説明をさせていただきました。
水一滴では喉は潤わない、米一粒ではお腹は満たされない。そう感じてしまいます。

仏教では私達の心を水面に例えることが多くあります。
私達の心はおだやかに調っているときもあれば、怒りや貪りなどの感情によってぐちゃぐちゃに激しく動いているときもあります。
水面の例えで言えば、心が調っていれば水面はおだやかで動くことがない状態です。反対に心が激しく動いている状態は水面に無数の波が様々な場所で発生し、水面が乱れている状態となります。
しかし、この例えは波がない状態と波立っている状態を二極化するために用いているのではありません。
「波が悪い物」と言っているのでもありません。波は私達が受け取った感情・情報だと思っていただければ良いと思います。
心が調っている状態、すなわち水面に波ひとつない器があったとします。ここに水を落とします。すると、美しい波の模様が広がっていき、そして再び元の水面に戻っていきます。
逆に波立っている水面に水を一滴落としたとしても、水面の変化に気が付くことはできません。
水一滴の布施を水面の例えに当てはまるならば
・施す者は、水面に水を落とす人
・施される者は、水面
・施物、水面に落ちる水
となります。
つまり、「水一滴・お米一粒でも満足することができる」には自分自身の心を調えておく必要があるのです。
心が調っていれば、おだやかな水面に美しい波が伝わっていくことに気が付けるように水一滴、お米一粒の有難さに気が付くことができるのです。
心が調っていなければどんなに沢山のお米や水を水面に落としても、その尊さに気が付くことができないのです。
このように心が調っている状態であれば、少しの変化が周囲に広がっていき、やがてその素晴らしさに気が付くことできるのです。
もちろん、水面に水を落とす人がぐちゃぐちゃに水を落とせば水面は乱れてしまいますし、水面に落ちる水が汚れていれば受け止める水までもが汚れてしまいます。
だからこそ、施す者・施される者・施物が全て清浄でなければならないのです。
以前、布施は見返りを求めず自分にできることを誰かの為に行うことです。
と言われたとき「自分にできること」を甘く考えていました。
10個のお菓子を手に入れたとき、まずは自分の分として1つ確保に残りの9個を差し出せばよいと考えていました。
しかしこれでは「自分の分を確保する」といった欲の心が残ってしまっているため
・施す者が清浄ではなく布施が成立しません。
本当に大切だと思うからこそ差し出す心が必要になってくるのです。大変厳しいことなのですが、布施をしたいと考えるならば
10個のお菓子を手に入れたとき、10個とも誰かに差し出す覚悟が必要になってくるのです。
そして、このような布施の心はすぐに完成できるものではありません。
積み重ねが必要になってきます。
その積み重ねの1つが施餓鬼の法要なのだと思います・・・
(続きは次回・・・)
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