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写経会のときに どんな話しをしているの? その46

東光寺(静岡市清水区横砂)で行われている写経会で、副住職(新米和尚)の法話と配布させていただいている絵葉書を紹介させていただきます。


※なぜ、絵葉書と法話(仏教のお話)が登場するのかはこちらをご覧ください。

※写経会の御案内はこちらをご覧ください。



 今回は第46回目です。 



500写経会 絵葉書 46 無分別




女性に



「私は何歳だと思いますか?何歳に見えますか?」



と質問されると答えに困ります。



幼いころの私は、なんの迷いもなく


「○○歳!!」



と答えていたと記憶しています。しかし、年齢を重ねた今



表情、
服装、
歩き方などの動作、
言葉遣い、
お肌や化粧や髪の毛などの見た目、
若く見られたいのか、
それとも落ち着いて見られることを期待しているのか、
何歳くらい実際の予想より引き算をしたら妥当な数字になるか、

などなど・・・



 様々なことを総合的に判断して答えるようになってきたかもしれません。



これは成長と言えるのでしょうか????



一般的な言葉の使い方をすると



なんの迷いもなく答えていた幼き頃の私は「無分別」な人間だったのかもしれませんし、



様々なことを総合的に判断するようになった今の私は「分別」のある人間になったのかもしれません・・・



しかし仏教で使う



無分別【むふんべつ】



は決して悪い言葉ではありません。むしろ、とっても良い言葉なのです。



 一般的には軽率なことを意味しますが、仏教では物事を区別して考えないこと。つまり妄想を離れていることやこだわることが無い心を持つこと



などを意味しています。




私達は普段の生活の中で「比較」をすることで物事を判断する傾向が強くあります。



去年はこれだけの種をまいたら、これだけ収穫でした。だったら今年はこれだけまこう。

これだけ練習をしたら、これだけの結果が出た。だから次の大会に向けてこれだけがんばろう。



比較をすることは大変便利なことですし、実生活を送る上では必要なことです。



しかし、相手を知るときに比較が必要なのでしょうか??



誰かと比較することで相手を見るのではなく、相手そのものを見ることが大切なのは、誰もが経験上理解をしていることなのではないでしょうか。



しかし、ついつい忘れてしまう・・・



だからこそ




誰にでも

比較できない

美しさがある




という無分別の心を思い出す必要があるのだと思います。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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