写経会のときに どんな話しをしているの? その47
東光寺(静岡市清水区横砂)で行われている写経会で、副住職(新米和尚)の法話と配布させていただいている絵葉書を紹介させていただきます。
※なぜ、絵葉書と法話(仏教のお話)が登場するのかはこちらをご覧ください。
※写経会の御案内はこちらをご覧ください。
今回は第47回目です。

私は水族館が好きです。
ただ、何もすることなく泳ぐ魚を見ていることが好きなようです。
水族館で魚を見ていると、中学生の頃に私自身が
魚も我々人間と同様に酸素を必要としていること。
水の中に酸素があること。
魚はエラを使って水の中の酸素を体内に取り込んでいること
を知ったときに衝撃を受けたことを思い出します。
さて、般若心経【はんにゃしんぎょう】というお経の後半部分に
能除一切苦【のうじょいっさいく】
という部分があります。
全ての苦るしみから解放される。
を意味しています。
どうしたら、全ての苦しみから解放されるのでしょう。
般若波羅蜜多の智慧によって、全てのものが空であることを知れば、全ての苦るしみから解放される。
と言われています。
私は幼いころ
「魚は水の中にいるのに なぜ苦しくないのだろうか?」
と疑問に感じていました。
しかし、この疑問こそが とても自己中心的な疑問だったのです。
「私」が水の中を苦しく感じるのだから、魚も苦しいはずだ・・・
勝手に作り上げた「私」を基準に考え、苦しいのか苦しくないのかを考えてしまっていたのです。
水の中に酸素があること。
魚はエラを使って水の中の酸素を体内に取り込んでいること
が分かれば魚にとって苦しみなどないことに気がつくことができます。
彼らは水の中という自分自身がイキイキと生活することができる場所で生活をしているのです。
絵葉書の写真は、私が水族館で撮影したものです。
私はこの写真の「空気の泡」が気にいっています。
空気の泡は下から上へと移動していき、最後には見えなくなってしまいます。
もちろん「消えてなくなる」わけではありません。
水面に達して外の空気と一体になったり、
水の中に溶け込んだりします。
仏教では「苦しみ」を水面に浮かぶ泡に例えることがあります。
泡がやがて消えてなくなるように
苦しみも やがては 消えてなくなります。
消えてなくなる泡は なんの役にもたたないのでしょうか??
もちろん、そんなことはありません。水中に溶けた酸素はエラを通じて魚を助け、外の空気と一体になった泡は多くの生命を生かしていきます。
何一つ無駄なことはないのです。
苦しみも同じではないでしょうか。
泡が水中や外の空気と一体になるのと同様に、苦しみもやがては自分自身と一体となり自分や周囲を活かす糧になるのです。
苦しいときに道は開ける
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今回は第47回目です。

私は水族館が好きです。
ただ、何もすることなく泳ぐ魚を見ていることが好きなようです。
水族館で魚を見ていると、中学生の頃に私自身が
魚も我々人間と同様に酸素を必要としていること。
水の中に酸素があること。
魚はエラを使って水の中の酸素を体内に取り込んでいること
を知ったときに衝撃を受けたことを思い出します。
さて、般若心経【はんにゃしんぎょう】というお経の後半部分に
能除一切苦【のうじょいっさいく】
という部分があります。
全ての苦るしみから解放される。
を意味しています。
どうしたら、全ての苦しみから解放されるのでしょう。
般若波羅蜜多の智慧によって、全てのものが空であることを知れば、全ての苦るしみから解放される。
と言われています。
私は幼いころ
「魚は水の中にいるのに なぜ苦しくないのだろうか?」
と疑問に感じていました。
しかし、この疑問こそが とても自己中心的な疑問だったのです。
「私」が水の中を苦しく感じるのだから、魚も苦しいはずだ・・・
勝手に作り上げた「私」を基準に考え、苦しいのか苦しくないのかを考えてしまっていたのです。
水の中に酸素があること。
魚はエラを使って水の中の酸素を体内に取り込んでいること
が分かれば魚にとって苦しみなどないことに気がつくことができます。
彼らは水の中という自分自身がイキイキと生活することができる場所で生活をしているのです。
絵葉書の写真は、私が水族館で撮影したものです。
私はこの写真の「空気の泡」が気にいっています。
空気の泡は下から上へと移動していき、最後には見えなくなってしまいます。
もちろん「消えてなくなる」わけではありません。
水面に達して外の空気と一体になったり、
水の中に溶け込んだりします。
仏教では「苦しみ」を水面に浮かぶ泡に例えることがあります。
泡がやがて消えてなくなるように
苦しみも やがては 消えてなくなります。
消えてなくなる泡は なんの役にもたたないのでしょうか??
もちろん、そんなことはありません。水中に溶けた酸素はエラを通じて魚を助け、外の空気と一体になった泡は多くの生命を生かしていきます。
何一つ無駄なことはないのです。
苦しみも同じではないでしょうか。
泡が水中や外の空気と一体になるのと同様に、苦しみもやがては自分自身と一体となり自分や周囲を活かす糧になるのです。
苦しいときに道は開ける
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