心はどこにあるのか??

「心」はどこにあるのでしょうか!?
「ひざが痛い」と言いながらひざを触る人は珍しくありません。
「ひじが痛い」と言いながらひじを触る人は珍しくありません。
「お腹が痛い」と言いながらお腹を触る人は珍しくありません。
では、「心が痛い」と発言した人は胸を押さえる方が多いと感じます。
では「心」は胸や心臓にあるのでしょうか?
「心」は私達の脳が考え出しているのだから脳に心があるという人もいます。
禅の言葉(禅語)に
門より入るもの、家珍に非ず 【 もんより いるもの かちんに あらず 】
という言葉があります。家珍【かちい】とは宝物のことですので、
外から入ってくる、もらったものは、わが家の宝ではない
と言う意味です。
お金や財宝、名誉や地位などは全て門の外から家の中に入ってきます。残念ながらお金や財宝は家宝や自分自身の支えとはならないのです。
私達は本当に大切なもの、宝物はすでにいただいているのですよ。それこそが「心」なのですよ!!
と伝えてくださっている言葉です。
私は、初めて外から入ってくる、もらったものは、わが家の宝ではない言葉を聞いたとき
「え、心は私の中にあるんでしょ?
だったら、私が門から出入りするなら心も出入りでくるじゃん!!
そうしたら、心も宝じゃなくなるじゃん!!!
この言葉、なんだかすっきりしない!!!!」
と思ったのです・・・・
後々、間違いに気がつきました。
この間違った認識は「心」はそれぞれの個人個人の中だけにあり、他人の心と心は独立したものだという誤解、そして「心」は常に体の中にある、つまり体より小さいという誤解が原因でした。
「心」というものは、そんなちっぽけなものではありません。「私の心」、「あなたの心」そんな区別すらない、とんでもなく大きなものなのです。
そして、全ては密接なつながりを持っているのです。
もちろん門とも比較などできない大きなものなのです。
「心」の大きさを知ったとき
門より入るもの、家珍に非ず 【 もんより いるもの かちんに あらず 】
外から入ってくる、もらったものは、わが家の宝ではない 心こそが宝物である
という言葉の意味を少しは理解できた気がしました。
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