仏教は優しくもあり、厳しくもある
私は、誰もが生まれたときから仏様のような尊い心をいただいていることを示す
「 衆生本来仏なり : しゅじょう ほんらい ほとけなり 」
という温かい言葉に導かれ僧侶になったと思っています。
しかし、仏教の教えは温かいだけではありません。厳しくも感じることがあります。
仏教聖典の中に、こんなお話が紹介されていました。

お金持ちの女主人は謙虚で親切だと評判であった。
その評判が本物か試すために使用人がわざと失礼なことをした。
初めはわざと半日遅刻した。
女主人は機嫌を悪くしながら注意をした。
そこで使用人は次の日に、わざと遅刻した。
しかもこの日は前日よりもさらに遅刻をした。
すると女主人は怒り、使用人を棒で打った。
このことが知れ渡り女主人はそれまでの良い評判を失った
というお話です。
どんなときでも 静かな心と 良い行いが大切であることを伝えてくださるお話だと感じました。
仏教聖典にはこのお話の最後に次のような一文が残されていました。
自分が置かれている環境が恵まれているときに、善い行いをしてもそれはまことに良い人とは言えない。衣食住にゆとりがないときにこそ、静かな心を持ち、良い行いをしなくては行けない。
かなり厳しい言葉ではあります。
この厳しい教えを実践するからこそ
衆生本来仏なり
という言葉の本当の意味を体感することができるのかもしれないと思いながら、まずは どんな時でも心を調えていくことを実践していこうと改めて感じました・・・
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