畑で命と向き合う
東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある袖師保育園が管理する「子供の畑」で作業をしていると様々な出会いがあります。
作物や花だけでなく、鳥や昆虫など多くの生き物とも出会うことができます。
耕運機を使って畑を耕していると、鳥が遊びに来てくれます。

そして、土から出てしまった虫を食べて行くのです。
先日は、畑を耕していると小さなネズミが逃げていくのが見えました。
たまにネズミに出会うこともあるので、
「あ、ネズミだ」と気にも留めませんでした。
しかし、このとき手元を見ると、まだ目も開いていない小さなネズミの子供小ネズミがいたのです。目も開かないくらい小さいネズミが顔を出していたため、思わず眺めていました。
しかし私は、悩んでしまったのです。
かわいいと感じた子ネズミをどうしたらいいのだろうか??
と・・・
助けたい!
と感じると同時に、「なぜネズミは助けるのか?」という疑問も出てきます。
自分が耕した畑に鳥がやってきて虫をついばむ姿を見ても何も感じなかったのに、かわいいと感じたネズミを助けてもよいのか??自分が命に価値を勝手につけているのではないか??
虫にも、そして畑に生えている雑草にも命はあり、その命を奪って畑を耕しているのに、かわいいと感じた子ネズミだけを助けることは正しいのか??
悩みに悩んだ上で、「何もしない」という選択をしました。しかし、その後も自分の行動は正しかったのかと、畑を耕しながら疑問に感じてしまいました。
漫画家の手塚治虫が、お釈迦様の生涯を描いた「ブッタ」という作品の中に印象的な場面があります。
幼き頃のお釈迦様が農耕祭を見学している場面です。
農夫が畑を耕していると、ミミズが顔を出し、そのミミズを小鳥が捕食し飛び立つ、しかし飛び立った小鳥はもっと大きな鳥に捕まるところを目撃する場面です。
このとき、幼きお釈迦様は気を失います。そして、しばらくして目を覚まし、その間に見ていた夢を語るのです。
その夢とは、ミミズを捕食した直後に大きな鳥に襲われてしまった小鳥の生涯を体験される夢だったのです。卵から産まれ、飛ぶ練習をし、様々な困難を乗り越え、生き延びた小鳥でしたが、ある日ミミズを食べ油断したが最後、大きな鳥に捕まってしまい亡くなっていくのです。
このような夢を見たと幼きお釈迦様は周囲に語るのです。
耕した畑に鳥がやってきて虫をついばむ姿を見ても何も感じない私とは雲泥の差です。
どんな命にも物語があり、1つ1つの命と一体なることができる幼きお釈迦様の姿を感じたとき、
かわいい子ネズミの命には寄り添いたいと感じるが、捕食されるミミズには何も感じないといったように、命を区別して考えてしまう自分の未熟さを痛感させられました・・・
作物や花だけでなく、鳥や昆虫など多くの生き物とも出会うことができます。
耕運機を使って畑を耕していると、鳥が遊びに来てくれます。

そして、土から出てしまった虫を食べて行くのです。
先日は、畑を耕していると小さなネズミが逃げていくのが見えました。
たまにネズミに出会うこともあるので、
「あ、ネズミだ」と気にも留めませんでした。
しかし、このとき手元を見ると、まだ目も開いていない小さなネズミの子供小ネズミがいたのです。目も開かないくらい小さいネズミが顔を出していたため、思わず眺めていました。
しかし私は、悩んでしまったのです。
かわいいと感じた子ネズミをどうしたらいいのだろうか??
と・・・
助けたい!
と感じると同時に、「なぜネズミは助けるのか?」という疑問も出てきます。
自分が耕した畑に鳥がやってきて虫をついばむ姿を見ても何も感じなかったのに、かわいいと感じたネズミを助けてもよいのか??自分が命に価値を勝手につけているのではないか??
虫にも、そして畑に生えている雑草にも命はあり、その命を奪って畑を耕しているのに、かわいいと感じた子ネズミだけを助けることは正しいのか??
悩みに悩んだ上で、「何もしない」という選択をしました。しかし、その後も自分の行動は正しかったのかと、畑を耕しながら疑問に感じてしまいました。
漫画家の手塚治虫が、お釈迦様の生涯を描いた「ブッタ」という作品の中に印象的な場面があります。
幼き頃のお釈迦様が農耕祭を見学している場面です。
農夫が畑を耕していると、ミミズが顔を出し、そのミミズを小鳥が捕食し飛び立つ、しかし飛び立った小鳥はもっと大きな鳥に捕まるところを目撃する場面です。
このとき、幼きお釈迦様は気を失います。そして、しばらくして目を覚まし、その間に見ていた夢を語るのです。
その夢とは、ミミズを捕食した直後に大きな鳥に襲われてしまった小鳥の生涯を体験される夢だったのです。卵から産まれ、飛ぶ練習をし、様々な困難を乗り越え、生き延びた小鳥でしたが、ある日ミミズを食べ油断したが最後、大きな鳥に捕まってしまい亡くなっていくのです。
このような夢を見たと幼きお釈迦様は周囲に語るのです。
耕した畑に鳥がやってきて虫をついばむ姿を見ても何も感じない私とは雲泥の差です。
どんな命にも物語があり、1つ1つの命と一体なることができる幼きお釈迦様の姿を感じたとき、
かわいい子ネズミの命には寄り添いたいと感じるが、捕食されるミミズには何も感じないといったように、命を区別して考えてしまう自分の未熟さを痛感させられました・・・
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