三歳の子供でも口では言えるけど、八十歳のお爺さんでも実行するのは難しいよ。
誰かに 何かしてもらった「あいがとう」
悪いことをしたら 「ごめんさない」
3歳の子供でも知っています。
でも、大人でも実行は難しいものです・・・
東光寺(静岡市清水区横砂)の境内には、袖師保育園があります。
袖師保育園の保育目標は
・基本的生活習慣を身につける
自分から進んでやる子
大きな声であいさつする子
元気よく遊ぶ子
・感謝する心を育てる
“ありがとう”がいえる子
人やものを大切にする子
と言うものです・・・
その保育園(東光寺と共用)の駐車場のフェンスが・・・

グニャっと曲がっているのが発見されました。

誰も「ごめんなさい」と言いに来ません。
仏教の教えに
諸悪莫作【しょあくまくさ】
衆善奉行【しゅぜんぶきょう】
自浄其意【じしょうごい】
是諸仏教【ぜしょぶっきょう】
という七仏通戒偈【しちぶつ つうかいげ】があります。
悪いことはせず、
善いことを行い、
自分の心を浄めること、
これが諸仏の教えである。
と言う意味で、仏教のすべての教えを総括した偈と言われています。
七仏通戒偈は白楽天【はくらくてん】と道林禅師【どうりんぜんじ】の逸話と共に伝えられました。詩人としても有名な白楽天は中央のお役人から地方の県知事に左遷されました。
勤務地に中国一と評判の道林禅師がおられるところでした。早速、禅師を訪ねました。禅師は別名を「鳥の巣の和尚様」と呼ばれていました。大きな松の枝の上で坐禅をされていたからです。白楽天は、下から声をかけます。
「危ないですから、下に降りてください。」
「わしは危なくない。お前さんこそ危ない。」
「私は地に足がついていますから大丈夫です。」
「カラカラに乾いた薪のような心では、危なくて見ていられない。」
これには白楽天も驚きました。
乾いた薪は火を付ければ、すぐに燃え上がります。誉めれば舞い上がり、些細なことに腹を立て、失望すれば青菜に塩の自分を見透かされています。気を取り直して訊ねました。
「お釈迦様の教えで一番大切なものは何ですか。」
このとき道林禅師が唱えられたのが、七仏通戒偈でした。
七仏とは普通、過去七仏といって、お釈迦様までの七人の仏陀のことです。お釈迦さまは、ご自分の前に「真理に目覚めた多くの方がいらした。」とおっしゃっています。「七」は「多くの」と解釈しても良いと思います。
七人(多く)の仏陀(悟れる人)がでて、終始一貫してお諭しになったのが「七仏通戒偈」といいます。
悪いことはしない、善いことをする、自然に心がきれいになる、これがいかなる世が来ても、変わることのない、多くの仏さまが説かれた教えです。
白楽天はがっかりしました。
「そんなこと三歳の子供でも言えますよ。」
「三歳の子供でも口では言えるけど、八十歳のお爺さんでも実行するのは難しいよ。」
これを聞いた白楽天は地べたにひれ伏したという逸話が伝えられています。
白楽天は自分自身を教育も地位も財産もあり、高い教養と見識があると思い込んでいましたが、禅師によって精神年齢三歳の子供であったことに気付かされました。八十歳のお爺さんとはお釈迦様のことではないでしょうか。
お釈迦さまのように、徳を積まれ、尊敬されている方は率直に、いつも「ごめんなさい」といえる心境を保たれています。このことは、なかなか容易ではありません。
瞬時にして子供になり、お釈迦様にもなれる。さすが命がけで、高い木の上で修行されている禅師だと白楽天は感じたのでした。
七仏通戒偈の中にある「善」と「悪」は反省の心を表します。つまり、善は反省し素直に「ごめんさない」と言える心、悪は反省することができず「ごめんない」と言うことができない心だと言えます。
袖師保育園の保育目標
“ありがとう”がいえる子
人やものを大切にする子
も「三歳の子供でも口では言えるけど、八十歳のお爺さんでも実行するのは難しいよ。」なのでしょう・・・
悪いことをしたら「ごめんなさい」
まずは、自分が忘れずに実行していこうと考えています。
悪いことをしたら 「ごめんさない」
3歳の子供でも知っています。
でも、大人でも実行は難しいものです・・・
東光寺(静岡市清水区横砂)の境内には、袖師保育園があります。
袖師保育園の保育目標は
・基本的生活習慣を身につける
自分から進んでやる子
大きな声であいさつする子
元気よく遊ぶ子
・感謝する心を育てる
“ありがとう”がいえる子
人やものを大切にする子
と言うものです・・・
その保育園(東光寺と共用)の駐車場のフェンスが・・・

グニャっと曲がっているのが発見されました。

誰も「ごめんなさい」と言いに来ません。
仏教の教えに
諸悪莫作【しょあくまくさ】
衆善奉行【しゅぜんぶきょう】
自浄其意【じしょうごい】
是諸仏教【ぜしょぶっきょう】
という七仏通戒偈【しちぶつ つうかいげ】があります。
悪いことはせず、
善いことを行い、
自分の心を浄めること、
これが諸仏の教えである。
と言う意味で、仏教のすべての教えを総括した偈と言われています。
七仏通戒偈は白楽天【はくらくてん】と道林禅師【どうりんぜんじ】の逸話と共に伝えられました。詩人としても有名な白楽天は中央のお役人から地方の県知事に左遷されました。
勤務地に中国一と評判の道林禅師がおられるところでした。早速、禅師を訪ねました。禅師は別名を「鳥の巣の和尚様」と呼ばれていました。大きな松の枝の上で坐禅をされていたからです。白楽天は、下から声をかけます。
「危ないですから、下に降りてください。」
「わしは危なくない。お前さんこそ危ない。」
「私は地に足がついていますから大丈夫です。」
「カラカラに乾いた薪のような心では、危なくて見ていられない。」
これには白楽天も驚きました。
乾いた薪は火を付ければ、すぐに燃え上がります。誉めれば舞い上がり、些細なことに腹を立て、失望すれば青菜に塩の自分を見透かされています。気を取り直して訊ねました。
「お釈迦様の教えで一番大切なものは何ですか。」
このとき道林禅師が唱えられたのが、七仏通戒偈でした。
七仏とは普通、過去七仏といって、お釈迦様までの七人の仏陀のことです。お釈迦さまは、ご自分の前に「真理に目覚めた多くの方がいらした。」とおっしゃっています。「七」は「多くの」と解釈しても良いと思います。
七人(多く)の仏陀(悟れる人)がでて、終始一貫してお諭しになったのが「七仏通戒偈」といいます。
悪いことはしない、善いことをする、自然に心がきれいになる、これがいかなる世が来ても、変わることのない、多くの仏さまが説かれた教えです。
白楽天はがっかりしました。
「そんなこと三歳の子供でも言えますよ。」
「三歳の子供でも口では言えるけど、八十歳のお爺さんでも実行するのは難しいよ。」
これを聞いた白楽天は地べたにひれ伏したという逸話が伝えられています。
白楽天は自分自身を教育も地位も財産もあり、高い教養と見識があると思い込んでいましたが、禅師によって精神年齢三歳の子供であったことに気付かされました。八十歳のお爺さんとはお釈迦様のことではないでしょうか。
お釈迦さまのように、徳を積まれ、尊敬されている方は率直に、いつも「ごめんなさい」といえる心境を保たれています。このことは、なかなか容易ではありません。
瞬時にして子供になり、お釈迦様にもなれる。さすが命がけで、高い木の上で修行されている禅師だと白楽天は感じたのでした。
七仏通戒偈の中にある「善」と「悪」は反省の心を表します。つまり、善は反省し素直に「ごめんさない」と言える心、悪は反省することができず「ごめんない」と言うことができない心だと言えます。
袖師保育園の保育目標
“ありがとう”がいえる子
人やものを大切にする子
も「三歳の子供でも口では言えるけど、八十歳のお爺さんでも実行するのは難しいよ。」なのでしょう・・・
悪いことをしたら「ごめんなさい」
まずは、自分が忘れずに実行していこうと考えています。
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