子供に坐禅会で話したこと 第257番 帝釈天

子供坐禅会(平成29年春休み:テーマは涅槃図)で話した内容を紹介させていただきます。今回は
涅槃図シリーズ その15 【帝釈天:たいしゃくてん】
です。
東光寺(静岡市清水区横砂)の子供坐禅会では毎回お寺や仏教に関係する話しをしています。
そして、話の内容にあった「仏教豆知識シール」を参加者に配布しています。
自分自身の備忘録も兼ねて紹介させていただきたいと考えています・・・・
※以下の内容は子供向けに話したものです。
お釈迦様が亡くなる時の様子を描いた図を「涅槃図」と言います。

この中に帝釈天【たいしゃくてん】が描かれています。

ここです。

もとは、武器を持って戦う軍神でした。さらに雨を降らして地上に恵みを与える神としても崇拝されていました。
戦いを好んでいたのですが、お釈迦様の教えを聞き、慈悲深くもなったと言われています。
では、この帝釈天が戦った相手は誰かご存知ですか。

壮絶な戦争を繰り広げた相手こそ・・・
阿修羅【あしゅら】なのです。
阿修羅については先日も話をしたので、覚えているかもしれませんが、闘争的な性格であるため、争いの絶えない世界である修羅道(六道の一つ)の主として、身をおく戦いの神様です。
※阿修羅についてはこちらをご覧ください。
阿修羅との戦いは大変なものだったと言われています。

しかし、ここで再び涅槃図に注目をしていただきたいのです。
帝釈天はここに描かれ、阿修羅もすぐ近くに描かれているのです。

戦っていますか。
戦っていませんよね。
なぜ、戦っていないのでしょうか。
仲直りをしたのでしょうか?
この絵からはわかりません。
しかし、仲直りをしたのか しないのか。
そこは関係がないのかもしれません。
お釈迦様が亡くなった場所で大きな戦いをした二人がともに悲しんでいることが大切です。
以前にどんな争いがあったとしても、いつかは分かり合うことがあるのです。
二人が同じ場所で同じように悲しむことで、
自分には悲しむ心があることに気が付き、同時に相手にも同じ心があることを知ることができるのです。
同じ心を持っていることを体験することができれば、例え今はケンカをしている相手であっても、分かり合うことができるはずです。
人は「同じこと」があると安心をします。
例えば、海外へ行ったときに日本人に会うと安心をします。
静岡県から離れて旅行へ行ったときに、静岡で暮らす人に会うと安心をします。
男の子が女の子ばかりの部屋に入ったとします。そこに男の子がいれば安心しませんか。
算数のテストの答えが隣の人と同じのだったとき、答えがあっているかわからなくても安心しませんか。
私たちは、「同じ」だと安心するのです。
だからこそ、
私達は生まれたときから 仏様のような 素晴らしい心を持っていますよ
という仏教の教えを大切にしているのではないでしょうか。
私にも あなたにも 素晴らしい心がある
と感じることができたならば
私の心も あなたの心も 同じ 良い心
と感じることができるのです。
ですから、亡くなったお釈迦様の前で、お釈迦様の教えを思い出したとき帝釈天と阿修羅はの心は静かに落ち着いてくるはずです。
だからこそ、2人は以前の争いを忘れ泣くことができているのではないでしょうか。
涅槃図を見て帝釈天と阿修羅が描かれているのが見えたとき、
心が静かになれば、どんなケンカをした相手でも、相手の心と自分の心が同じだとわかる
と言うことを思い出してください。もちろん心を静かにする方法はたくさんあります。
その1つが、今までやっていた坐禅です。
姿勢を良くして、息をゆっくり吐く。
この呼吸を続けることで心は静かになっていきます。
誰かとケンカしそうになった時にも
ゆっくりと息を吐きながら、「自分の心と相手の心が同じ!!」と考えてみてください。きっとただケンカをするのと少し違う結果になると思いますし、静かな心を取り戻そうとしていることを涅槃図の中の帝釈天と阿修羅も望んでいるのだと思います。
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