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坐るともう一人の自分と一つになる

500法話 坐るともう一人の自分に出会うことができる1

「坐」という漢字について考えるきっかけがありました。


以前、「座」と「坐」の違いを


坐は動作

座は場所



と紹介をしました。



※記事はこちらです。
↓↓↓
http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1418.html





500法話 坐るともう一人の自分に出会うことができる2

今回は「坐」という字について興味深い考え方を教えていただきました。




以前、「坐」という漢字は




2人の人が土の地面に坐っている様子を表している




と聞いたことがありました。




禅宗で「坐る」というと坐禅が連想できます。




では、「坐る」を坐禅とすると、2人とは誰でしょうか??




500法話 坐るともう一人の自分に出会うことができる3
仲間でしょうか?





500法話 坐るともう一人の自分に出会うことができる4
師匠と弟子でしょうか?





確かに仲間や師匠と坐禅をすると心強いものです。




500法話 坐るともう一人の自分に出会うことができる5

しかし、坐禅は1人でもできます。





500法話 坐るともう一人の自分に出会うことができる6

坐禅を1人でしていると、「なまけたい心」が出てくることもあります。





500法話 坐るともう一人の自分に出会うことができる7

さらに、「楽をしたい心」も出てきてしまうこともあります。





500法話 坐るともう一人の自分に出会うことができる8

そして、この悪い心は、どんどん増えてきてしまいます・・・・





500法話 坐るともう一人の自分に出会うことができる9

しかし、そのような なまける心を時々は排除しなくてはなりません。





500法話 坐るともう一人の自分に出会うことができる10

なまける心を排除すると、すっきりして、坐ることができます。




このようなことを



500法話 坐るともう一人の自分に出会うことができる11




自分自身と、自分の奥底にある「生まれたときからいただいている仏様のような心【尊い心】」と対面する




とも表現できるのではないでしょうか。




ある和尚様が「坐」という字を示しながら




「地面」が人としての基礎基本だとするならば、

基礎基本を大切に、心を調えて坐ることができたとき、

もう一人の自分と対面することができる






と、表現されていたのが印象的です。




自分自身の「尊い心」と対面しようとしたとき、やはり




臨済宗妙心寺派の生活信条の

1日1度は静かに坐って、身体と呼吸と心を調えましょう





を思い出します。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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