一回きりの給油で自動車がいつまでも走れるものではない

今から約35年前の昭和57年10月発行に発行された会報の記事に円覚寺派管長(当時)の足立大進老師の言葉ありました。
臨済宗の僧侶で「老師【ろうし】」と呼ばれる和尚様は、多くの和尚を指導する立場の大変徳の高い、とってもえらい和尚様です。
そんな足立大進老師が、若い和尚に、
一回きりの給油で自動車がいつまでも走れるものではない。
ガソリン不足の車が高速道路へ出れば、自分が走れないばかりか、他の多くの車の妨げにすらなる。
出家をして、禅僧としての給油をおこたってはなるまい。
と、呼びかけていました。
※記事の全文は臨済宗青年僧の会で読むことができます。
もちろん、「禅僧としても給油」も必要です。
しかし、この言葉を読んだときに、
科学と仏教の共通点や関係性を少しでも多くの方に伝えたいと考えていた以前の自分を思い出しました。
私は科学と仏教には密接なつながりがあると考えています。
しかし、そのために科学のことも、仏教のことも、もっと勉強をしなくてはなりません。
それが、私なりの給油であるはずなのに、
「学生時代の経験以外のことを本当に学ぼうとしているのか」
と問われているように感じました。
一回きりの給油で自動車がいつまでも走れるものではない。人(禅僧)としての給油をおこたってはなるまい。
この言葉を意識しながら、科学も仏教もしっかりと学び続けていきたいと感じました。
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