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生まれたばかりのお釈迦様が雨が降ったときに傘をささなかったのはなぜか。

甘露の雨は誰の所に降るのか




500甘露の雨



長女の小学校の入学式、天気は雨でした。



なかなかの土砂降りでした。



次女の小学校の入学式、天気は雨でした。



これまた、土砂降り・・・




「あ、雨か。運が悪いな」




つい、つぶやいてしまいました・・・・





自分の都合だけで判断し「運が悪い」と感じてしまいました。





 仏教(禅)の言葉に 無分別【むふんべつ】 という言葉があります。





 どちらかが良くてどちらかが悪いといった分析的に物事を把握しようせず、ありのままの姿を受け入れる





ことを意味しています。




「雨」を 良い雨 か 悪い雨 と区別してはならないのです。





それでもついつい、「やっぱり雨が降ったらめんどくさい!」と私は考えてしまいます・・・・





しかし、お釈迦様の誕生を祝う「花まつり」で誕生仏に甘茶をかけているときに感じたことがあります。





お釈迦様が誕生したことを祝い天から甘露の雨が降ったと言われています。



500こまめ 誕生仏 カラー



甘露とは仏教では 苦悩を癒し、長生きができると言われる大変ありがたいものと考えられています。




ですから、今でも花まつりでは「甘茶」をそそぐ習慣があります。




思考回路が変わっている私は




「なんで、お釈迦様の誕生の際に降った雨が甘露だと気が付いたのだろうか」




と疑問に感じました。雨が降った時に、いちいち味見をする人はあまりいないはず・・・



お釈迦様は味見をしたのか??




くだらなにことを考えながらも私なりの結論が出ました。






お釈迦様が誕生したということは、赤ちゃん誕生とは意味合いが違うと私は考えています。




お釈迦様誕生は、仏教の誕生を意味しているとも言われます。



と、するならば無分別【むふんべつ】、ありのままの姿を受け入れる心も誕生したのでしょう。




お釈迦様が分別の心で、雨を「めんどくせなぁ」とか、「晴れの方がよかったなぁ」とグチグチ言いながら傘をさしていたら、甘露の雨だと気が付かず、ただの雨として傘にさえぎられて、お釈迦様には届かなかったかもしれません。




すると、苦悩を癒すことも、長生きもできない・・・




ありのままに受け入れる心があったからこそ、分別という名前の傘をささずに雨を受け入れたのでしょう。




だからこそ、その雨が甘露の雨だと気が付き、甘露の雨を体で受け止めることができたのではないでしょうか。




そして、甘露の雨をいただいたからこそ、仏教が2500年という大変な長生きをすることができていると感じます。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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