子供に坐禅会で話したこと 第250番 力士
子供坐禅会(平成29年春休み:テーマは涅槃図)で話した内容を紹介させていただきます。今回は
涅槃図シリーズ その 【力士:りきし】
です。
東光寺(静岡市清水区横砂)の子供坐禅会では毎回お寺や仏教に関係する話しをしています。
そして、話の内容にあった「仏教豆知識シール」を参加者に配布しています。

自分自身の備忘録も兼ねて紹介させていただきたいと考えています・・・・
※以下の内容は子供向けに話したものです。
お釈迦様が亡くなる時の様子を描いた図を「涅槃図」と言います。
この涅槃図の中に貴金属をつけている人がいます。
漢字で力士と書いて「りきし」
と読みます。そのままですね。
でも、お相撲さんではありません。
力士はお釈迦様が亡くなったクシナガラに昔から住んでいた人達です。
彼らはお釈迦様が教えを伝える旅の途中クシナガラにやってくることを知り大変喜びます。
そこで、お釈迦さまやたくさんの御弟子様たちが通れるように道を整備するほどでした。
そんなにも大歓迎をした御釈迦さんがクシナガラで亡くなることを力士たちが知ると、
御釈迦様に健康を取り戻してもらい、これからも教えを説いてほしいと願い出ます。
しかし、その願い聞き入れてもらうことはできませんでした。
御釈迦様が亡くなれた後、力士たちは御釈迦様の葬儀のために力を尽くしたそうです。
そんな、涅槃図に描かれた力士から私達は何を学んだらいいのでしょうか。
1つは、誰しもがいつかは亡くなっていく事実。どんなに願おうとも命あるもの必ず亡くなるとき来ることを伝えてくれています。
そしてもう一つが、誰でも、いつからでも仏教を学ぶことができる、仏教徒になることができるということです。
力士は多くの貴金属をつけるなど、少し変わった格好で描かれます。今も世界中どこへ行ってもみんなが同じ格好をしているわけではありません。それぞれの地域によって独特の格好があり、姿や形にも特徴があります。
涅槃図に描かれている人々にも力士のように特徴的な姿を描く場合がありますが、これこそが仏教の平等性を説いた姿だと思います。
町をあるいて、他の国の人が歩いてくると少しビックリませんか。
同じように違う国へ行ったら相手がビックリします。
でもビックリをした相手にも僕らと同じ「いのち」があります。
人はついつい、そんな大切な事を忘れてしまうことがあるのです。
忘れたときに起こるのが争い事です。
違う考え方をしているから殴ってもいい。
見た目が少し違うから殴っていい。
話し方が僕らと違うから殴っていい。
落ち着いて考えれば、そんなの間違っていると気が付くのに、心がモヤモヤしているとできてしまうのが人間です。
涅槃図では見た目が違っても、その命を、「自分の命と他人の命」といったふうに区別することなく大切にしていって欲しいという願いを「力士」に込めて描いているのではないでしょうか。
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