子供に坐禅会で話したこと 第245番 跋提河:バツダイガ
子供坐禅会(平成29年春休み:テーマは涅槃図)で話した内容を紹介させていただきます。今回は
涅槃図シリーズ その3 【跋提河:バツダイガ】
です。

東光寺(静岡市清水区横砂)の子供坐禅会では毎回お寺や仏教に関係する話しをしています。
そして、話の内容にあった「仏教豆知識シール」を参加者に配布しています。
自分自身の備忘録も兼ねて紹介させていただきたいと考えています・・・・
※以下の内容は子供向けに話したものです。
お釈迦様が亡くなる時の様子を描いた図を「涅槃図」と言います。涅槃図は特に登場人物が多い絵ですので見覚えがある人も多いのではないでしょうか。
私自身、幼い頃からお寺で生活をさせていただいていましたので見たことはありました。
しかし、お参りをするときに少しだけ見るので、何が書いてあるのか、そしてどのような意味があるのかまでは考えていませんでした。
ましてや、涅槃図の中に「河」が描かれているなんて考えもしませんでした。

これは東光寺(静岡市清水区横砂)の涅槃図です。
「河」を発見することはできるでしょうか?
「河」を拡大します!

さらに拡大!!

恥ずかしい話ですが、私はここに「河」があることを今回の子供坐禅会で涅槃図について話しをしていこうと考えて調べるまで知りませんでした。
言い訳をしますと、雲だと勘違いしていました。
しかし、間違いなくこれは「河」です。
涅槃図の中に「河」が描かれているのにはもちろん理由があり、涅槃図に描かれた「河」から今を生きる私達が学ばなくてはいけないことは多くあります。シールにも
跋提河【ばつだいが】はインドの大きな河。
涅槃図には必ず河が描かれている。
お釈迦様は河の近くで亡くなることによって、人の命は水の流れのように少しもとどまることなく流れていくことを伝えている。
と書きました。少し難しい言い方ですので、詳しく話しをさせていただきます。
涅槃図の話しをされる方が必ずと言っていいほど口にされるのが
拘尸那竭羅【クシナガラ】の跋提河【ばつだいが】のほとり、沙羅双樹のもとで入滅されました。
という一句です。
この一句からも分かるように跋提河【ばつだいが】のほとりで亡くなったことは間違いないようです。
そして、その場所で御弟子様とお釈迦様の間で次のような話しがあります。
お釈迦様は
「なぜ、このような場所で亡くなるのですか」
と聞く御弟子様に
「私が河の近くで死んでいくのは、人の命は河の水のようなものだと教えるためだ。河の水が流れ続けるのと同じように、命は決してどこかに止まっているわけではない。いつも流れているのだ。」
と話されたというのです。
私達は自分の「命」と言われると、自分の1人の命を考えます。決して目の前にいる人の命を自分の命だと思いません。
しかし、お釈迦様は河の水が命だというのです。私達が自分の命だと思っているのは河の中の一滴の水なのです。そして、その一滴の水は決して一滴だけで存在するのではなく周囲の水と共にあるのです。
私達の命も同様に自分の命だけで存在するのではなく、目の前にいる人の命とも一緒にあるのです。
河の中から 上流で河に落ちた一滴の水を、下流で同じ状態で取り出すは難しいことです。
命を大切にすることは、とても大事なことです。
しかし、下流で目的とする一滴の水を取り出すことが難しいように、自分の命をだけを大切にすることはできないのです。自分の命を大切にすると言ことは、今目の前にいる人を始め、ありとあらゆる命を大切にすることであり、過去・現在・未来すべての命を大切にすることなのです。
そんなことを言われると難しそうだと感じると思います。しかし、忘れてはいけないことがあります。今を生きている私達の命はこういった全ての命を大切にする習慣が作り上げていることです。
良い習慣というのは御先祖様が守ってきた様々な教えであり、行動です。
お参りをすること・坐禅をすること・しっかり挨拶をすること、などなどなど・・・・
私達の命が良い習慣によって守られているのですから、私達も良い習慣を身に付けていきましょう。
それがお釈迦様の願いでもあり、涅槃図の跋提河が私達に教えてくれていることなのです。
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