もうすぐお彼岸 その2

昨日の記事に「もうすぐお彼岸 その1」と題して
正しい教えを知り 実践する人々は 理想の境地とも言われる彼岸に到達することができる
という言葉を紹介させていただきました。
※昨日の記事はこちらです。
しかし、実践と言うと 「厳しい修行」 をしなくてはならないと どうしても感じてしまいます。
ですから、以前の私は彼岸のという言葉の意味を知ってもなかなか最初の一歩が出せませんでした。
最初の一歩を踏み出すために勇気が必要だと思っていました。
しかし、先日ある男性と話していて 私が持っていた「修行」という概念が少し変化しました。
その男性は山登りが大変に好きな方で、ご夫婦で日本100名山の多くを登った方です。
山登りに興味はあるが、実際に登ったことがない私は男性に
「山登りって、登頂したときは気分がいいのは分かるのですが、登っているときは辛いですよね」
と質問をしました。しかし、男性は
「そんなことないよ、どのように登るか考え始めたときから楽しくてしょうがないし、登っている最中も楽しい、登頂したときも楽しい、帰り道も楽しいよ。」
と答えたのです。
「あ~、本当に楽しんでいるのだな、辛いとは思わないんだな」
と驚いていると、男性はさらに続けました。
「でも舗装された道路は辛いね。土の道が歩きやすいし疲れないよね。コンクリートの階段はできるだけ登らないよ、一番疲れるし足を痛めるからね。」
と言うのです。個人的には舗装された道路の方が歩きやすそうですし、階段も短い距離で高くまで登れて効率的なように感じてしまいます。しかし男性は
「階段は自分のペースで歩けない。階段に歩幅を合わせなくてはいけないからね」
と説明をしてくれました。男性は、舗装された階段ではなく土の坂道を登ることを心掛け100名山を登り続けているそうです。
私はこれまで、「修行」とい言葉から「階段」をイメージしていました。
一段一段階段を登るように自分を高めていく
そんなイメージでした。
そして、低い段もあれば時には高い壁のような1段もあり、このような困難を乗り越えることも大切だと考えていました。もちろん今でも同じように考えています。
しかし、同じ山の頂上を目指すために階段で登る方法もあれば、別の道を探し緩やかな坂道を歩んだとしても、頂上にたどり着くのです。
到着時間は違ったとしても自分のペースで歩むことができる道を見つけることこそが頂上を目指すときには大変に重要なことがとも感じます。
階段を登った方が自分で決めたゴールに到着するのに効率的かもしれません。しかし、高い壁のような1段にぶつかることでそれ以上進むことができずもどかしく感じることもあるかもしれません。
固く舗装された道を歩むことで足を痛め進むことができなくなることもあるのではないでしょうか。
歩を進めることができなくなるのは、「修行」が停滞することを示しているように感じます。
と考えるならば、徹底的に自分を追い込んでいくだけでなく、一見「楽をしている」と感じてしまうかもしれないが、自分のペースで、自分にできる範囲の修行を正しく理解して実践していくこともとても大切なことだと感じました。
人生や修行を登山に例えることは昔から多くあります。
修行と登山を重ねて考え、「でも舗装された道路は辛いね。土の道が歩きやすいし疲れないよね。コンクリートの階段はできるだけ登らないよ、一番疲れるし足を痛めるからね。」と言う言葉と向き合うと
やはり、昨日の記事 「もうすぐお彼岸 その1」 にも登場した
「暑さ寒さも彼岸までという言葉があるように、せっかく過ごしやすくなる季節なんだから、肩の力を抜いてゆったりと自分に向き合うことも大切な修行だ!」
という言葉の深さを感じます。
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