心を調えるって何??
東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
臨済宗妙心寺派の生活信条に
1日1度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう
とあります。
私も法話(仏教の話し)をするときに、「調った心」や「心が調います」といった言葉を使います。
すると、原稿を読んだり話しを聞いた妻から
「よく、心を調えるというけれど、いまいちつかみどころがないよね。」
と言われてしまいます。
確かに目で見たり、数値として出すことができないので、分かりにくい表現かもしれません。
では「心が調う」とはどういう状態なのでしょうか!?
私は坐禅体験に来る保育園の園児には「和合【わごう】」の話しをするときに、
「パーの手はきれいな心、グーは少し疲れた心」
と話しています。
子供に話すときに「調う」という言葉を使っても理解はできませんので「きれいな心」と紹介しています。
みんなで手をつなぎたい(和合)と考えたとき、
手をパーにすれば、手をつなぐことができます。

しかし、手をグーにすると手をつなぐことができません。

知らず知らずのうちにグーになってしまった手を広げるのがお参りなどお寺での行事です。
お参りをするとき、閉じた手を開きます。
そして、自分が手を開けば周囲の人と手をつなぐことができるのです。
こういった内容の話しを園児にすると、彼らは喜んで周囲の子供達同士で手をつないで話しを聞いてくれています。
「心が調う」という状態を体感してくれていると信じています。