葬儀・葬式大歓迎!! とは・・・

私は、中学校入学から大学卒業まで花粉症などの症状以外で涙を流しませんでした。
・涙を流すことが恥ずかしい
・周囲の友人や級友にバカにされる
・男なら泣くんじゃない! とよく言われた
様々な感情によって涙の出口が10年間以上完全に詰まっていました・・・
涙を流さない生活が続くと、感情を表に出すことも少なくなっていたかもしれません。
そんな私の涙腺のフタを外し、感情を表に出しても良いことを教えてくれたのは母方の祖母でした。
私が23歳の頃、祖母は他界しました。
当時神奈川県で生活をしていた私は祖母が危篤との連絡を受け急いで入院をしていた病院へとかけつけました。
亡くなっていく祖母を見たとき、幼少期のか頃らこれまでずっと味方でいてくれ、優しくしてくれた様々なことを思い出し涙がボロボロと流れ、声にならない声が出ていたことを今でも思い出します。
その後、祖母の葬儀のときにも、様々な場面で涙が自然とあふれ出てきたのです。自では抑えることができないほど涙が流れることを知って驚きました。と、同時に葬儀に参列しお参りをすることで自分自身の荒れた心が静かになり、救われた気持ちになったことを覚えています。
そして、涙を流している自分に気が付いたとき
・涙を流すことが恥ずかしい
・周囲の友人や級友にバカにされる
そんな感情がバカバカしいことだと気が付いた気がします。
さらに、何かがあって心が乱れたとしても、葬儀など落ち着くことができる瞬間があることを体験できました。
そのため、本当に大切だった祖母の死は私にとって「悲しみ」だけではなく、様々なことを教えていただく機会でもあったのだと思います。
最近、そんな祖母の死を思い出す言葉と出会ったのです。
その言葉は臨済宗青年僧の会の機関紙【不二:ふに】に掲載されていた
『葬式寺』歓迎です。
という言葉でした。
現在私は、臨済宗青年僧の会の ホームページを担当させていただいています・・・
臨済宗青年僧の会 という組織があり、 私はありがたい御縁をいただき事務局員としてお手伝いをさせていただいています。
※ホームページはこちらをクリックするとご覧いただけます
このホームページ作成の為に過去の機関紙「不二【ふに】」を読ませていただくことが多くあります。
そんな中、約20年前の記事に一般女性からの投書が掲載されていました。そこには、
『葬式寺』歓迎です。旅立つ人の魂を、どなたが浄土に導いてくださるのですか。
ただし、お経も説法も、解り易いことばで、解るようにと心掛けてください
と書いてありました。
「お寺の仕事は人が亡くなってから」などという言葉が注目される中、様々な僧侶の取組みを紹介している記事の中に 『葬式寺』歓迎 の言葉があったのです。
以前の私も誰かに
「お寺の仕事は人が亡くなってからあらだね」
と言われれば
「いや違う!」
とムキになって反論してしまうかもしれません。
反論しようとする私の心には
葬儀 よりも 葬儀以外のお寺の行事 が大事
という感覚があったのです。
「どっちが大切」などないはずなのに・・・
葬儀も大切。 様々な行事も大切。 全てが大切。
で、なくてはいけないのです。
「 葬式寺 歓迎です。 」という約20年前の一般女性の言葉に触れたとき、自分自身が体験した祖母の死と葬儀から感じた様々なことを思い出すことができました。
全ての法要や行事に御先祖様が守ってきた大切な教えが脈々と流れているからこそ、葬儀も大切 様々な行事も大切 全てが大切!