子供の仕事は遊ぶこと!! その2

最近、「子供の仕事は遊ぶこと!!」という言葉を思い出す出来事がありました。
※その出来事は以前の記事で紹介させていただいています。
その出来事を通して
「相手を尊敬することは良いことだ」
と私が実感したのはいつ頃だったか思い出してみました。
すると、その答えが「子供の仕事は遊ぶこと!!」という言葉の中にあったことを思い出すことができたのです。
私が僧侶として生きていこうと決意を固めるきっかけになったのは白隠禅師坐禅和讃というお経の始めの一句である「衆生本来仏
なり」と出会ったことでした。
生きとし生きるもの全てに尊い心が生まれたときから備わっている
と教えてくださった和尚様の導きによって僧侶として生きていこうと決心をしました。
生きとし生きるもの全てに尊い心が生まれたときから備わっているのだから「相手を尊敬することは良いことだ」
と言われれば
「そりゃ、そうだ」
と感じるのです。
では、私自身はいつ頃の体験を通して「衆生本来仏なり」を納得しているのかを考えました。
その答えが、「子供の仕事は遊ぶこと!!」なのです。
私の小学校5、6年生の時の担任の先生は素晴らしい先生でした。
この先生は毎日のように宿題を出しました。
もちろん、計算や漢字の書き取りなどの宿題も出します。
しかし、それよりもはるかに多く出されたのが
「遊びの宿題」でした。
その名の通り、遊ぶことが宿題です。
え、遊ぶこと??
そんな簡単で最高の宿題があるのか!?
小学校5年生の私達も初めは驚きました。
しかし、いくつかの条件がありました。
・遊ぶ時には10人以上
・男女混合
・遊ぶ仲間は固定しないで毎回異なる人と遊ぶ
・突然の雨以外屋外で遊ぶ などなど・・・
そして遊んだあとは翌日までに遊んだことによって見つけた誰かの良さを日記にして提出をしたのです。
「誰か」はそれまでに日記に書いたことがない人でなければならないので、「遊びの宿題」が出るたびに新たに級友の良さを見つけることになりました。
なによりも驚くのは、この宿題が1学期に1回や月に1回という頻度ではなく、週1回~数回出ていたことです。
遊ぶことが宿題なのですから、嫌がる子供は少なかったと思います。
そのたびに誰かの「良さ」を発見し続けるのです。
やがて「誰かの良さ」を見つけることが習慣になってくれば、宿題の日記はあっと言う間に終わるようになります。
遊ぶことを繰り返せば繰り返すほど、探さなくても「良さ」を瞬時に見つけることができるようになったと感じます。
この、探さなくても「良さ」を瞬時に見つけることができるこのことこそが、小学生にとっての「衆生本来仏なり:生きとし生きるもの全てに尊い心が生まれたときから備わっている」を体感するための行為だったのだと思います。
「相手を尊敬することは良いことだ」
相手を尊敬することで、相手との関わりが良い方向へと変化していく
この言葉に対して
「そりゃ、そうだ」
と感じることができたのは小学生時代の遊びのおかげだったのです。
「多様性」や「個人の尊重」という言葉を履き違えた自分勝手な振る舞いが繰り返し報道される現代社会に置いて、子供に「遊びの宿題」を出すことができる学校の先生は皆無だと思います。
しかし、「良さ」を見つける習慣を身につけて、相手を尊敬したり敬うための方法は多くあります。そして、それは学校だけでなく、地域社会でも十分に身につけることができるのです。
そして、地域社会の中にある「お寺の行事」にも、坐禅和讃で坐禅などの仏道修行によって「衆生本来仏なり」など様々な教えを体感することができると説くように、より良く生きる為の多くの実践があることをお伝えできればと考えています。
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