座る余地 まだ涅槃図の 中にあり
精神科医であり俳人でもある平畑静塔の
座る余地 まだ涅槃図の 中にあり
という言葉を知りました。
とても、すごい言葉だと感じます。
「涅槃図」と言えば、どうしても亡くなったお釈迦様が主人公のように感じます。
しかしこの平畑静塔の言葉は、涅槃図と涅槃図を見ている自分自身が決して対立するものではなく、一体となるべきものなのだと教えてくれています。
涅槃図を見ている自分自身が主人公なのです!
「主人公」とはもともと禅の言葉(禅語)であり
人々が本来持っている仏性、自分自身の中にある仏さまの様な素晴らしい心
という意味があります。

拝むだけでなく、

拝むと同時に、

拝まれている
そのことを体験したからこそ、
座る余地 まだ涅槃図の 中にあり
と涅槃図を見ている姿を表現できたのだと感じます。
座る余地 まだ涅槃図の 中にあり
という言葉を知りました。
とても、すごい言葉だと感じます。
「涅槃図」と言えば、どうしても亡くなったお釈迦様が主人公のように感じます。
しかしこの平畑静塔の言葉は、涅槃図と涅槃図を見ている自分自身が決して対立するものではなく、一体となるべきものなのだと教えてくれています。
涅槃図を見ている自分自身が主人公なのです!
「主人公」とはもともと禅の言葉(禅語)であり
人々が本来持っている仏性、自分自身の中にある仏さまの様な素晴らしい心
という意味があります。

拝むだけでなく、

拝むと同時に、

拝まれている
そのことを体験したからこそ、
座る余地 まだ涅槃図の 中にあり
と涅槃図を見ている姿を表現できたのだと感じます。
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