水と氷のごとくにて 笑顔と泣き顔のごとく
白隠禅師坐禅和讃というお経の中に

水と氷の如くにて 【みずと こおりの ごとくにて】
水を離れて氷なく 【みずを はなれて こおりなく】
という部分があります。
それは 水と氷のようなもので
水がないと氷はできません
という意味です。
「水がないと氷ができない?そりゃ~そうだ、当たり前じゃん!」
と、思うかもしれませんが、これはあくまで白隠禅師の例え話です。
「水」と言うのは 「仏様のような美しい心」で、
「氷」は「汚れてしまった心」を表現しています。
水は氷に変化するし、
氷は水に変化します。
と、いうことは
きれいな仏様のような心は汚れてしまうこともあるし、
汚れた心が 仏様の心になることもあるのです。
私達の心はいつもに変化をしています。
しかし、どんな心になったとしても
必ず「仏様のような美しい心」を私達は持っていることを白隠禅師が私達に伝えてくださっているようにかんじます。
先日、この「水と氷」を「笑顔」で表現される和尚様に出会いました。
その和尚様は、悲しそうな顔をしている人がいると、
「辛いときでも笑顔になることができるよ」

「涙を拭いて」

「目を開いて」

「そう、そして口の両脇を上にあげて!」

「ほら、笑顔になったでしょ!私達は元々笑顔になることができる動物だよ。笑顔になるには訓練も必要だけど、みんな笑顔になることができることは忘れちゃだめだよ!白隠禅師という昔のすんごい和尚様はこのことを水と氷の如くにて 水を離れて氷なく と言って教えてくれていますよ!」
との表現が、とても素敵でした。

水と氷の如くにて 【みずと こおりの ごとくにて】
水を離れて氷なく 【みずを はなれて こおりなく】
という部分があります。
それは 水と氷のようなもので
水がないと氷はできません
という意味です。
「水がないと氷ができない?そりゃ~そうだ、当たり前じゃん!」
と、思うかもしれませんが、これはあくまで白隠禅師の例え話です。
「水」と言うのは 「仏様のような美しい心」で、
「氷」は「汚れてしまった心」を表現しています。
水は氷に変化するし、
氷は水に変化します。
と、いうことは
きれいな仏様のような心は汚れてしまうこともあるし、
汚れた心が 仏様の心になることもあるのです。
私達の心はいつもに変化をしています。
しかし、どんな心になったとしても
必ず「仏様のような美しい心」を私達は持っていることを白隠禅師が私達に伝えてくださっているようにかんじます。
先日、この「水と氷」を「笑顔」で表現される和尚様に出会いました。
その和尚様は、悲しそうな顔をしている人がいると、
「辛いときでも笑顔になることができるよ」

「涙を拭いて」

「目を開いて」

「そう、そして口の両脇を上にあげて!」

「ほら、笑顔になったでしょ!私達は元々笑顔になることができる動物だよ。笑顔になるには訓練も必要だけど、みんな笑顔になることができることは忘れちゃだめだよ!白隠禅師という昔のすんごい和尚様はこのことを水と氷の如くにて 水を離れて氷なく と言って教えてくれていますよ!」
との表現が、とても素敵でした。
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