氷は水の上に張る
夏、暑い日にお寺の中に入ると
「あら、涼しい」
とおっしゃる方が多くいます。
しかし、冬にお寺の中に入って
「あら、暖かい」
とおっしゃる方はほとんどいません。
反対に、お寺から外に出ると
「あら、暖かい」
と感想が漏れ出てしまいます。
そう、お寺の冬は寒いのです・・・

小さい頃は登校中に氷を見つけると喜んで氷を割って、その下にある水が跳ねて冷たい思いをしたこともありました。
氷の下には水があることを多くの子供達は体験的に知っています。
私の場合は少し大きくなり、ませてくると氷を見て喜ぶ自分を隠すためなのか「なんで氷は水の底にはできなくて、水面からできてくるのだろうか」などと考えるようになりました。
年を重ねた今になると中庭に氷が張っていると寒さを感じてしまい、ため息が出るようなってしまいました・・・
250年前に活躍をされた白隠禅師【はくいんぜんじ】という和尚様が説いたお経に
衆生本来仏なり 【 しゅじょう ほんらい ほとけなり 】
水と氷のごとくにて
という言葉があります。
生きとし生きるもの全てに仏様の心があることを説く言葉です。
このことを例えるため「水と氷」を使っているのです。
水と氷はもともと同じものなのに性質が大きく異なります。
仏教では
水は小さな一滴もやがて大きな海になり、形にもこだわることなくサラサラと流れるこだわりの無い姿を表し、
氷は凝り固まったしまった心を表しています。
私達は仏様と同じように素晴らしい水のような心を生まれたときから持っているのに、様々な要因によってその性質を変えてしまっているのです。
中庭に張った氷を見て
「なんで氷は水面から張ってくるのだろう」
と感じた学生自体のことを思い出しました。
お風呂の水も部屋の空気も暖かいものが上に上がって冷たいものが下に下がるのに、水と氷では反対の現象が起こります。実に不思議な光景だと感じました。
そして、当時興味を持って調べたことも思い出しました。
なぜ氷が水面にできるのか?
私達の心も、辛く悲しい出来事などによって凍り付いていくことがあります。
しかし、私達は氷の下には水があることを体験的に知っています。
だからこそ、冷たく動かなくなってしまった心の奥底には自由に動き回る水があることを
衆生本来仏なり
水と氷のごとくにて
と表現しているのだと感じます・・・
「あら、涼しい」
とおっしゃる方が多くいます。
しかし、冬にお寺の中に入って
「あら、暖かい」
とおっしゃる方はほとんどいません。
反対に、お寺から外に出ると
「あら、暖かい」
と感想が漏れ出てしまいます。
そう、お寺の冬は寒いのです・・・

小さい頃は登校中に氷を見つけると喜んで氷を割って、その下にある水が跳ねて冷たい思いをしたこともありました。
氷の下には水があることを多くの子供達は体験的に知っています。
私の場合は少し大きくなり、ませてくると氷を見て喜ぶ自分を隠すためなのか「なんで氷は水の底にはできなくて、水面からできてくるのだろうか」などと考えるようになりました。
年を重ねた今になると中庭に氷が張っていると寒さを感じてしまい、ため息が出るようなってしまいました・・・
250年前に活躍をされた白隠禅師【はくいんぜんじ】という和尚様が説いたお経に
衆生本来仏なり 【 しゅじょう ほんらい ほとけなり 】
水と氷のごとくにて
という言葉があります。
生きとし生きるもの全てに仏様の心があることを説く言葉です。
このことを例えるため「水と氷」を使っているのです。
水と氷はもともと同じものなのに性質が大きく異なります。
仏教では
水は小さな一滴もやがて大きな海になり、形にもこだわることなくサラサラと流れるこだわりの無い姿を表し、
氷は凝り固まったしまった心を表しています。
私達は仏様と同じように素晴らしい水のような心を生まれたときから持っているのに、様々な要因によってその性質を変えてしまっているのです。
中庭に張った氷を見て
「なんで氷は水面から張ってくるのだろう」
と感じた学生自体のことを思い出しました。
お風呂の水も部屋の空気も暖かいものが上に上がって冷たいものが下に下がるのに、水と氷では反対の現象が起こります。実に不思議な光景だと感じました。
そして、当時興味を持って調べたことも思い出しました。
なぜ氷が水面にできるのか?
簡単に説明をすれば「密度」の違いです。
温度による変化で水の密度も変化し、最終的には水が氷になると、密度が小さくなります。
同じ大きさの水と氷なら氷が軽くなるのです。
ですから、氷は水に浮かび、氷は水面から張り始めます。
私達の心も、辛く悲しい出来事などによって凍り付いていくことがあります。
しかし、私達は氷の下には水があることを体験的に知っています。
だからこそ、冷たく動かなくなってしまった心の奥底には自由に動き回る水があることを
衆生本来仏なり
水と氷のごとくにて
と表現しているのだと感じます・・・