先生が住職ではなく、住職が先生を兼ねているのである

経済的な理由で先生とか役所とかに務める兼職の住職が多くなって来た事はやむを得ぬが
先生が住職ではなく
住職が先生を兼ねているのである。
しっかりとした菩提心を持って教場に向うならば、その場が即ち下化衆生の場となるであろう。
※1:下化衆生【げけしゅじょう・】
衆生を教化し救済すること。ありとあらゆるものを救おうとすること
この言葉は30年以上前の昭和59年3月に僧侶が読む冊子に掲載された、妙興僧堂師家 挟間宗義老師の言葉の一部分です。
※2:老師【ろうし】僧侶を指導し導く先生のような存在の徳の高い和尚様
※3:記事の全文はこちらでご覧になれます(臨済宗青年僧の会)
教員として生徒の前に7年間立ち、現在も僧侶として生きている私にはドキッとする言葉です。
そして、この言葉に出会ったときに、尊敬する先輩に
「教員が伝えることは授業の内容だけではない。生き方を伝えることが仕事だ」
と教えていただいたことも思い出しました。
私には現在も東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある保育園の園児や地元の小学生に仏教の話しをさせていただく機会があります。
その際には忘れてはいけない言葉だと感じます。
挟間宗義老師の言葉は
禅は禅僧だけのものではない、一般大衆。ものであり全世界人類のものでもある。白隠禅師の和讃の衆生本来仏なり、この身即ち仏なりを体験して物質文化に流され精神文化を失いつつある日本の現状を救わねばならぬ。
と締めくくられます。これからも全世界人類のものである「仏教」や「禅」の素晴らしさを伝えられように努力を続けていこうと感じます。
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