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どんど焼きの御餅をいただくことは 全てをいただくこと 

500どんど焼きと帰依の心1

食パンを・・・







500どんど焼きと帰依の心3

炭火で焼いたら・・・






500どんど焼きと帰依の心2

美味しそうに焼けた!!





という話ではありません・・・






500どんど焼きと帰依の心4

お餅の話しです・・・
東光寺(静岡市清水区横砂)の境内で「どんど焼き」が行われました。





境内にある袖師保育園の恒例行事です。






500どんど焼きと帰依の心5

毎年、御札や正月の飾りや書き初めなどを集めて燃やします。






500どんど焼きと帰依の心6

点火をして、般若心経をお唱えしている間に炎はどんどん大きくなります。






500どんど焼きと帰依の心7

やがて炎が落着いてきたら火加減を調整し






500どんど焼きと帰依の心8

「炭火焼き」ができる状態にします。






500どんど焼きと帰依の心9

そして、お正月にお供えされた鏡餅を焼いていくのです。





園児達は初めに調味料のついていない、焼いただけのお餅を食べます。





その後、醤油やきな粉のついたお餅を元気よく食べていきます。





どんど焼きの火にあたったり、焼いた物を食べれば、その1年間健康でいられるという言い伝えがありますので、今年一年園児達が元気に過ごしてくれると信じています。




500どんど焼きと帰依の心2

では、どんど焼きの火で焼いたものを食べたら健康でいられるなら、最初のパンでも健康になれるのでしょうか。





・・・先程のパンは、どんど焼きが終了し残り火の片づけをするときに撮影したものですが、私はどんど焼きにはお餅の方が良い気がします。





「パンとお餅ならお餅の方が好き!」





といった理由ではもちろんありません。





「お餅は昔から日本にあって、パンは他の国の文化だからお餅の方が良い!」





といった理由でもありません。





パンや買ってきたお餅が悪いのではなく、お供えされたお餅をいただくことが、どんど焼きをより良いものにしてくれている気がします。





仏教などの話しをする際に





帰依【きえ】





という言葉がでてきます。





すぐれたものに対して自己の身心を投げ出して信奉すること





を意味する言葉です。誤解を恐れずに言い換えれば





信じきる





と表現できるのです。





「帰依」を仏教語の辞典で調べると、「すぐれたものに対して自己の身心を投げ出して信奉すること」という文章の後に、





仏と法と僧の三宝に帰依することを三帰依【さんきえ】といい、これは仏道に入る第一歩とされる。





と書いてあります。





「仏道に入る」ことは「心を調える」ことにつながります。





自分のこと(自我)を投げ出し、仏教の教えを信じきることが仏道に入る、つまり心を調えることになるのです。





自分が好きだからなどの理由でパンを焼こうとするのではなく、神様や仏様、そして御先祖様を信じきりお供えされたお餅を、その想いごと全て取り込むことが、自分自身の心を調えることになるのです。





そして、このことが自分自身の心の健康を1年間保ち続けるための素晴らしい栄養源になるのはないでしょうか。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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