どんど焼きの御餅をいただくことは 全てをいただくこと

食パンを・・・

炭火で焼いたら・・・

美味しそうに焼けた!!
という話ではありません・・・

お餅の話しです・・・
東光寺(静岡市清水区横砂)の境内で「どんど焼き」が行われました。
境内にある袖師保育園の恒例行事です。

毎年、御札や正月の飾りや書き初めなどを集めて燃やします。

点火をして、般若心経をお唱えしている間に炎はどんどん大きくなります。

やがて炎が落着いてきたら火加減を調整し

「炭火焼き」ができる状態にします。

そして、お正月にお供えされた鏡餅を焼いていくのです。
園児達は初めに調味料のついていない、焼いただけのお餅を食べます。
その後、醤油やきな粉のついたお餅を元気よく食べていきます。
どんど焼きの火にあたったり、焼いた物を食べれば、その1年間健康でいられるという言い伝えがありますので、今年一年園児達が元気に過ごしてくれると信じています。

では、どんど焼きの火で焼いたものを食べたら健康でいられるなら、最初のパンでも健康になれるのでしょうか。
・・・先程のパンは、どんど焼きが終了し残り火の片づけをするときに撮影したものですが、私はどんど焼きにはお餅の方が良い気がします。
「パンとお餅ならお餅の方が好き!」
といった理由ではもちろんありません。
「お餅は昔から日本にあって、パンは他の国の文化だからお餅の方が良い!」
といった理由でもありません。
パンや買ってきたお餅が悪いのではなく、お供えされたお餅をいただくことが、どんど焼きをより良いものにしてくれている気がします。
仏教などの話しをする際に
帰依【きえ】
という言葉がでてきます。
すぐれたものに対して自己の身心を投げ出して信奉すること
を意味する言葉です。誤解を恐れずに言い換えれば
信じきる
と表現できるのです。
「帰依」を仏教語の辞典で調べると、「すぐれたものに対して自己の身心を投げ出して信奉すること」という文章の後に、
仏と法と僧の三宝に帰依することを三帰依【さんきえ】といい、これは仏道に入る第一歩とされる。
と書いてあります。
「仏道に入る」ことは「心を調える」ことにつながります。
自分のこと(自我)を投げ出し、仏教の教えを信じきることが仏道に入る、つまり心を調えることになるのです。
自分が好きだからなどの理由でパンを焼こうとするのではなく、神様や仏様、そして御先祖様を信じきりお供えされたお餅を、その想いごと全て取り込むことが、自分自身の心を調えることになるのです。
そして、このことが自分自身の心の健康を1年間保ち続けるための素晴らしい栄養源になるのはないでしょうか。
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