忘れる姿が美しい
先日、買い物をしようとレジに並んでいると目の前の親子の姿が美しいことに気が付きました。

※写真は妻と娘に再現を依頼しました。
お母さんが小さな子供が抱いて順番を待っています。
子供は一生懸命買い物かごを持っています。しかし、お母さんも買い物かごを持っている。
「私がこれ持っていてあげる!」
という声が聞こえてきそうな顔で子供は自分が買い物かごを持っている。
でも、実際には買い物かごだけでなく子供すらお母さんが持っているのです。しかし、お母さんはそのことを子供に伝えることなく、子供と目が合えがニッコリと微笑むのです。
仏教的な言葉に
両忘 【りょうぼう】
というものがあります。
生と死、善と悪といった二次元的な対比を脱した心境を表す言葉です。
私達は知らず知らずのうちに物事を二次元的に対比して見てしまいます。
もちろん、そのように見た方が効率的であったり、分かりやすいこともあります。しかし、仏教では2次元的な対比で物事を見るのではなく、ありのままに感じ、ありのままに見ることの大切さを説いています。
先程紹介した光景も
支えているのは母親で、支えられているのは子供
と対比で考えてしまいます。しかし、なぜあの光景が美しく感じるのかと言えば、支える側と支えられる側に分けきることなどできない、まさに両忘 【りょうぼう】の姿そのものだったからなのではないでしょうか。
一見すると母親が支えているように見えますが、そんな母親を子供が支えている側面もある。
お互いがお互いを支え、互いに感謝の念を持っている。
どっちが支えているかなど忘れてしまった姿だからこそ美しく見える。
そんな、尊い姿を見せていただいたと感じています。