焼香の心について考えました
昨日のブログでは
「ていねい」な焼香
という題名で、時間をかけて参列者に御焼香を促す葬儀社の方の話しを紹介させていただきました。
※「ていねい」な焼香 の記事はこちらをご覧ください。
私が、その葬儀社の方に、「御焼香は皆さんに並んでいただいてほうが良いのではないか」と提案したところ
「いやいやいや、それはできませんよ。そんな雑な御焼香をしたら私が施主様に怒られちゃいますよ。御焼香はていねいにやらなきゃ~、和尚さん!」
と返されて驚いたことを紹介させていただきました。
その際に、御焼香についてお伝えさせていただいたことを紹介させていただきます。
御焼香には
・良い香りを捧げること
・心身を浄めてお参りをするための準備をする
といった意味があります。
そして、御焼香は 慈しみの心 で行うことが大切だと考えています。
「慈しみ」とは
見返りを求めずに、相手ことを想う気持ちを表す言葉です。
そして、見返りを求めない心で何かを行うことを仏教では「布施【ふせ】」と言います。
つまり、御焼香には布施の心が大切なのです。
布施【ふせ】と言う言葉を聞くと
「なんだ、お金の話か」
と、誤解されがちですが、布施はあくまでも、見返りを求めない行動を表した言葉であり、多くの方が
布施=お金
と感じてしまうのは、見返りを求めず金品を施すという、布施の中の1つである財施【ざいせ】の印象が強いからだと思います。
布施には、金品を施す以外にも様々な布施があります。
有名なのは、地位や財産がなくてもできる、お金がかからず、いつでもどこでも、だれにでも出来る
無財の七施【 むざい の しちせ 】
です。

この7つの布施の心が御焼香の心となると考えています。
無財の七施の1つ目は、

暖かく、優しい、慈しみの眼ですべての人に接する眼施【げんせ】
2つ目は

穏やかな顔で接する和顔施【わがんせ】
3つ目

思いやりの心がこもった態度と暖かいことばをかける言辞施【ごんじせ】
4つ目

礼儀正しい振る舞いや、身をもって奉仕を行うこと。人の嫌がる仕事でも喜んで、気持ちよく実行する身施【しんせ】
5つ目

心のこもった思いやりの心で接すること。心から、共に喜び、ともに悲しむ心施【しんせ】
6つ目

自分が疲れていても、喜んで寝る場所や座席を譲る床座施【しょうざぜ】
最後が、

訪ねて来た人などに泊まる場所や食事などを用意することや、苦労をねぎらい、思いやりの心を持って気持ちの良いもてなしをする房舎施【ぼうしゃせ】
です。
誰かが亡くなったときに、亡くなった方だけでなく御親族、そして一緒にお参りをするすべての人と共に布施の心、慈しみの心でお参りをすることが大切なのです。
7つの布施は、どれも「自分のこと」「自分の都合」そして「自分の考え方」を減らし、相手を思いやる気持ちを持たなくては実行することができません。
「私は時間をかけてお参りがしたいんだ!!その為に、自分より後の人がどんなに待っても構わない。」
そんな自分勝手な考え方は布施の心とは正反対にあるように感じます。
それよりも、例え短い時間でも
亡くなった方、御親族、一緒にお参りをする方のことを一心に考えての行動であるならば、並んで御焼香をすることは、雑と言われることも、恥じるべき行動でもないのです。むしろ、床座施と呼ばれる布施行の実践なのです。
時間をかけるから偉いのではなく、時間を短くすることが偉いのでもない。
どれだけ、自分をなくして多くの人を思いやる慈しみの心を持つことができるかが大切なのです。
そして、布施を積むことで自分自身の心が調い、調った心を亡くなった方に捧げることこそが御供養になるのです。
「ていねい」な焼香
という題名で、時間をかけて参列者に御焼香を促す葬儀社の方の話しを紹介させていただきました。
※「ていねい」な焼香 の記事はこちらをご覧ください。
私が、その葬儀社の方に、「御焼香は皆さんに並んでいただいてほうが良いのではないか」と提案したところ
「いやいやいや、それはできませんよ。そんな雑な御焼香をしたら私が施主様に怒られちゃいますよ。御焼香はていねいにやらなきゃ~、和尚さん!」
と返されて驚いたことを紹介させていただきました。
その際に、御焼香についてお伝えさせていただいたことを紹介させていただきます。
御焼香には
・良い香りを捧げること
・心身を浄めてお参りをするための準備をする
といった意味があります。
そして、御焼香は 慈しみの心 で行うことが大切だと考えています。
「慈しみ」とは
見返りを求めずに、相手ことを想う気持ちを表す言葉です。
そして、見返りを求めない心で何かを行うことを仏教では「布施【ふせ】」と言います。
つまり、御焼香には布施の心が大切なのです。
布施【ふせ】と言う言葉を聞くと
「なんだ、お金の話か」
と、誤解されがちですが、布施はあくまでも、見返りを求めない行動を表した言葉であり、多くの方が
布施=お金
と感じてしまうのは、見返りを求めず金品を施すという、布施の中の1つである財施【ざいせ】の印象が強いからだと思います。
布施には、金品を施す以外にも様々な布施があります。
有名なのは、地位や財産がなくてもできる、お金がかからず、いつでもどこでも、だれにでも出来る
無財の七施【 むざい の しちせ 】
です。

この7つの布施の心が御焼香の心となると考えています。
無財の七施の1つ目は、

暖かく、優しい、慈しみの眼ですべての人に接する眼施【げんせ】
2つ目は

穏やかな顔で接する和顔施【わがんせ】
3つ目

思いやりの心がこもった態度と暖かいことばをかける言辞施【ごんじせ】
4つ目

礼儀正しい振る舞いや、身をもって奉仕を行うこと。人の嫌がる仕事でも喜んで、気持ちよく実行する身施【しんせ】
5つ目

心のこもった思いやりの心で接すること。心から、共に喜び、ともに悲しむ心施【しんせ】
6つ目

自分が疲れていても、喜んで寝る場所や座席を譲る床座施【しょうざぜ】
最後が、

訪ねて来た人などに泊まる場所や食事などを用意することや、苦労をねぎらい、思いやりの心を持って気持ちの良いもてなしをする房舎施【ぼうしゃせ】
です。
誰かが亡くなったときに、亡くなった方だけでなく御親族、そして一緒にお参りをするすべての人と共に布施の心、慈しみの心でお参りをすることが大切なのです。
7つの布施は、どれも「自分のこと」「自分の都合」そして「自分の考え方」を減らし、相手を思いやる気持ちを持たなくては実行することができません。
「私は時間をかけてお参りがしたいんだ!!その為に、自分より後の人がどんなに待っても構わない。」
そんな自分勝手な考え方は布施の心とは正反対にあるように感じます。
それよりも、例え短い時間でも
亡くなった方、御親族、一緒にお参りをする方のことを一心に考えての行動であるならば、並んで御焼香をすることは、雑と言われることも、恥じるべき行動でもないのです。むしろ、床座施と呼ばれる布施行の実践なのです。
時間をかけるから偉いのではなく、時間を短くすることが偉いのでもない。
どれだけ、自分をなくして多くの人を思いやる慈しみの心を持つことができるかが大切なのです。
そして、布施を積むことで自分自身の心が調い、調った心を亡くなった方に捧げることこそが御供養になるのです。
- 関連記事