土産話 ~お土産をもらっていたことに気が付いたとき~
以前、「 御供え物の思い出 」と題してブログを書きました。
その話を物語のように書いてみました・・・・
土産話 ~お土産をもらっていたことに気が付いたとき~

男の子は、家族ぐるみの付き合いがある近所のおばあちゃんの家へお土産を持って行った。
男の子は、いつも優しく声をかけてくれるおばあちゃんのことが大好きだった。
「おばあちゃん、こないだ みんなで京都に行ってきたんだ、これお土産!!」
おばあちゃんは御土産を受け取ると
「ありがとう」
と言って、お仏壇にお供えして手を合わせた。男の子も一緒にお参りをして帰って行った。
おばあちゃんはどんなものでも受け取ると必ず仏壇にお供えをして手を合わせていた。
男の子は小学校6年生になって修学旅行へ行った。そこで、久しぶりに近所のおばあちゃんのことを思い出してお土産を買って行った。
「あばあちゃん、修学旅行で東京に行ったんだ。これお土産!!」
おばあちゃんは御土産を受け取ると
「ありがとう」
と言って、お仏壇にお供えして手を合わせた。
3年後、男の子は中学3年生で再び修学旅行へ出かけた。家族への御土産を選んでいるときに、また近所のおばあちゃんのことを思い出してお土産を買って行った。
「あばあちゃん、お土産・・・」
少し恥ずかしいような気持ちになったが、おばあちゃんは笑顔で御土産を受け取ると
「いつも、ありがとう」
と言って、お仏壇にお供えして手を合わせた。
男の子は
「なんで、せっかく買ってきたのに御供え物なんかにするんだろう。縁起が悪いや・・・」
そんなことを考えていた。
男の子が高校生になったとき、あのおばあちゃんは亡くなった。自宅でのお通夜、お寺での葬儀に参列しお参りをした。
月日が流れ、男の子は青年になった。
青年は結婚をした。
そして、新婚旅行へ。
旅行先で、お互いの親族や友人への御土産を買っているときに、ふとおばあちゃんのことを思い出した。
「久しぶりに、おばあちゃんにお土産を買っていこう。」
青年は帰宅すると御土産を持っておばあちゃんの家へ向かった。
おばあちゃんの家族は青年の来訪をよろこび、
「昔みたいに、お仏壇にお供えしていきなよ」
と、声をかけた。
彼は、仏壇の前に座り買ってきたお土産をお供えしようとした。
仏壇の中のおばあちゃんがこっちを見てにっこりと微笑んでいる。
そのとき、子供の頃に見たおばあちゃんの姿を思い出し、自然と涙が出た。
通夜、葬儀の時に流れなかった涙があふれ、驚いた。
仏壇の前に座ることで、おばあちゃんの姿をはっきりと思い出した。
そして、どんなものでも必ずお供えをしていたおばあちゃんの気持ちが少し分かった気がした。
どんなものでも自分1人で手に入れることはできない。
私たちは何も所有しない姿でこの世に生まれてきて、ご縁が尽きれば一切の所持品を遺して以前の世界に返っていく。
「私のもの」など何もない。
「私の命」すら、私のものではない。
私は生かされていたのだ。
おばあちゃんはそのことを知っていた。
だから何かあるとお供えをしていた。
おばあちゃんは言葉ではなく、自らがお参りをする姿を見せることで教えてくれていた。
彼は「お土産」を渡していたはずが、実は昔から心のお土産をたくさん受け取っていたことに気が付いた。
そして彼は、おばあちゃんから受け取っていたお土産を誰かに渡していきたいと感じた。
その話を物語のように書いてみました・・・・
土産話 ~お土産をもらっていたことに気が付いたとき~

男の子は、家族ぐるみの付き合いがある近所のおばあちゃんの家へお土産を持って行った。
男の子は、いつも優しく声をかけてくれるおばあちゃんのことが大好きだった。
「おばあちゃん、こないだ みんなで京都に行ってきたんだ、これお土産!!」
おばあちゃんは御土産を受け取ると
「ありがとう」
と言って、お仏壇にお供えして手を合わせた。男の子も一緒にお参りをして帰って行った。
おばあちゃんはどんなものでも受け取ると必ず仏壇にお供えをして手を合わせていた。
男の子は小学校6年生になって修学旅行へ行った。そこで、久しぶりに近所のおばあちゃんのことを思い出してお土産を買って行った。
「あばあちゃん、修学旅行で東京に行ったんだ。これお土産!!」
おばあちゃんは御土産を受け取ると
「ありがとう」
と言って、お仏壇にお供えして手を合わせた。
3年後、男の子は中学3年生で再び修学旅行へ出かけた。家族への御土産を選んでいるときに、また近所のおばあちゃんのことを思い出してお土産を買って行った。
「あばあちゃん、お土産・・・」
少し恥ずかしいような気持ちになったが、おばあちゃんは笑顔で御土産を受け取ると
「いつも、ありがとう」
と言って、お仏壇にお供えして手を合わせた。
男の子は
「なんで、せっかく買ってきたのに御供え物なんかにするんだろう。縁起が悪いや・・・」
そんなことを考えていた。
男の子が高校生になったとき、あのおばあちゃんは亡くなった。自宅でのお通夜、お寺での葬儀に参列しお参りをした。
月日が流れ、男の子は青年になった。
青年は結婚をした。
そして、新婚旅行へ。
旅行先で、お互いの親族や友人への御土産を買っているときに、ふとおばあちゃんのことを思い出した。
「久しぶりに、おばあちゃんにお土産を買っていこう。」
青年は帰宅すると御土産を持っておばあちゃんの家へ向かった。
おばあちゃんの家族は青年の来訪をよろこび、
「昔みたいに、お仏壇にお供えしていきなよ」
と、声をかけた。
彼は、仏壇の前に座り買ってきたお土産をお供えしようとした。
仏壇の中のおばあちゃんがこっちを見てにっこりと微笑んでいる。
そのとき、子供の頃に見たおばあちゃんの姿を思い出し、自然と涙が出た。
通夜、葬儀の時に流れなかった涙があふれ、驚いた。
仏壇の前に座ることで、おばあちゃんの姿をはっきりと思い出した。
そして、どんなものでも必ずお供えをしていたおばあちゃんの気持ちが少し分かった気がした。
どんなものでも自分1人で手に入れることはできない。
私たちは何も所有しない姿でこの世に生まれてきて、ご縁が尽きれば一切の所持品を遺して以前の世界に返っていく。
「私のもの」など何もない。
「私の命」すら、私のものではない。
私は生かされていたのだ。
おばあちゃんはそのことを知っていた。
だから何かあるとお供えをしていた。
おばあちゃんは言葉ではなく、自らがお参りをする姿を見せることで教えてくれていた。
彼は「お土産」を渡していたはずが、実は昔から心のお土産をたくさん受け取っていたことに気が付いた。
そして彼は、おばあちゃんから受け取っていたお土産を誰かに渡していきたいと感じた。
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