講談との出会い
京都の妙心寺では毎月「法話のつどい」が行われています。
毎月法話が行われているのですが、平成28年11月は特別な「法話のつどい」だったようです。
普段はなかなか参加することができない「法話のつどい」ですが、11月は妙心寺での研修中だったので参加させていただくことができました。(お手伝いをさせていただきました)
このとき何が特別かといいますと、なんと法話がなかったのです!!
会場に設置されている舞台は

このような状態!
落語なのでしょうか?
いえいえ違います!
講談【こうだん】です!!
何が違うのかは 講談協会のホームページに書いてありました。
~ 以下転記 ~
「講談」と「落語」はどう違うの?
「講談」「落語」はことあるごとに比較されています。
その違いは一体どこにあるのでしょうか。簡単に言ってしまえば、「落語」が会話によって成り立つ芸であるのに対し、「講談」は話を読む芸という言い方ができます。勿論、読むといっても単なる朗読とは違い独特のしゃべ調子と小道具の使い方で展開される訳なのです。よく使われる小道具として有名なのが張り扇と釈台(机)です。
張り扇で釈台を叩きパパンという音を響かせて調子良く語ります。この小道具を巧みに使った芸こそ「講談」ならではのものです。
また、「講談」は「落語」と比較して歴史が古く、奈良、平安の頃にその原型が見られます。但し、一般に良く知られる「講談」の始まりは「太平記読み」とされています。食に困った浪人が老若男女を集めて「太平記」を面白おかしく読んで聞かせたというものです。
これが「講談」のルーツです。
と、あります。
※詳しく知りたい方は講談協会のホームページをご覧ください。
では、なぜ妙心寺の「法話のつどい」に講談師なのでしょうか?
それは、演目に臨済宗中興の祖「白隠禅師」があるからなのです。

来年の白隠禅師250年遠諱(亡くなって250年目の法事)に合わせての開催です。「法話のつどい」で法話以外のことをするのは長い歴史の中でも初めての出来事だと聞き、大変貴重な現場を体験させていただき光栄です。

演じてくださる講談師の一龍齋 貞弥【いちりゅうさい ていや】氏。
この時、話してくださった内容は白隠禅師の有名な逸話でした。
迫力、臨場感ある世界が作り出され大変驚くと同時に感動をしました。

多くの聴衆中に10人前後の臨済宗の僧侶がいましたが、全員が
「知っている話なのに、涙が出そうになった(出た)」
と感じていました。
同じ内容でも話し方、伝え方で、伝わり方が大きく変わることを実感しました。
そして、自分自身も法話をするうえで、少しでも内容が伝わるように話し方も工夫していく必要性を強く感じました。
毎月法話が行われているのですが、平成28年11月は特別な「法話のつどい」だったようです。
普段はなかなか参加することができない「法話のつどい」ですが、11月は妙心寺での研修中だったので参加させていただくことができました。(お手伝いをさせていただきました)
このとき何が特別かといいますと、なんと法話がなかったのです!!
会場に設置されている舞台は

このような状態!
落語なのでしょうか?
いえいえ違います!
講談【こうだん】です!!
何が違うのかは 講談協会のホームページに書いてありました。
~ 以下転記 ~
「講談」と「落語」はどう違うの?
「講談」「落語」はことあるごとに比較されています。
その違いは一体どこにあるのでしょうか。簡単に言ってしまえば、「落語」が会話によって成り立つ芸であるのに対し、「講談」は話を読む芸という言い方ができます。勿論、読むといっても単なる朗読とは違い独特のしゃべ調子と小道具の使い方で展開される訳なのです。よく使われる小道具として有名なのが張り扇と釈台(机)です。
張り扇で釈台を叩きパパンという音を響かせて調子良く語ります。この小道具を巧みに使った芸こそ「講談」ならではのものです。
また、「講談」は「落語」と比較して歴史が古く、奈良、平安の頃にその原型が見られます。但し、一般に良く知られる「講談」の始まりは「太平記読み」とされています。食に困った浪人が老若男女を集めて「太平記」を面白おかしく読んで聞かせたというものです。
これが「講談」のルーツです。
と、あります。
※詳しく知りたい方は講談協会のホームページをご覧ください。
では、なぜ妙心寺の「法話のつどい」に講談師なのでしょうか?
それは、演目に臨済宗中興の祖「白隠禅師」があるからなのです。

来年の白隠禅師250年遠諱(亡くなって250年目の法事)に合わせての開催です。「法話のつどい」で法話以外のことをするのは長い歴史の中でも初めての出来事だと聞き、大変貴重な現場を体験させていただき光栄です。

演じてくださる講談師の一龍齋 貞弥【いちりゅうさい ていや】氏。
この時、話してくださった内容は白隠禅師の有名な逸話でした。
迫力、臨場感ある世界が作り出され大変驚くと同時に感動をしました。

多くの聴衆中に10人前後の臨済宗の僧侶がいましたが、全員が
「知っている話なのに、涙が出そうになった(出た)」
と感じていました。
同じ内容でも話し方、伝え方で、伝わり方が大きく変わることを実感しました。
そして、自分自身も法話をするうえで、少しでも内容が伝わるように話し方も工夫していく必要性を強く感じました。