無功徳と言われた武帝の謙虚さ
昔からある話は実は奥が深い。
そんなことを痛感しました。
達磨様と武帝の逸話(昔話)も私が考えているより奥が深いようです・・・

禅語に
無功徳【むくどく】
という言葉があります。
この言葉は禅宗を開いた達磨大師が禅を中国に伝えたとき、当時の中国で権力を握っていた武帝【ぶてい】に対して言った言葉です。
武帝は仏教への信仰が厚く、寺を建立したり仏教を学んだりしていました。その武帝が達磨大師がインドからやってくると聞いて大いに喜び、お話しをすることになりました。
武帝
「私はこれまで仏教を学び、多くのお経のを写し、僧侶を育て、お寺を建立したりしてきました。この私にはどのような功徳があるのでしょうか。」
達磨大師
「無功徳」
武帝
「え~、がく・・・」

無功徳とは
功徳を期待して、善根【ぜんこん:善い行い】をすることは本当の善根ではない。
との言葉です。
有名なお話ですのでご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私はこの話を初めて聞いたとき、単純に
「なるほどなぁ」
と感じていました。そして、実に分かりやすい話だとも感じていました。
しかし、先日ある和尚様にまったく違う解釈を教えていただきました。
その和尚様と話をしていると
「俺はさ、武帝って謙虚だと思うんだよね。だってあんなに勉強していて、功徳がありますかなんて聞くか?聞かないだろ!」
と言うのです。
目からウロコが大量に落ちた気持ちでした。
私のような未熟者ですら「無功徳」を知っているのですから、それだけ勉強している武帝が知らないはずがありません。
でも、あえて達磨様に質問をすることで「無功徳」やその他多くの達磨様の教えを広く広めてくださっているのだと感じました。
達磨様のことを敬い、そして教えを広める為にあえて知らないふりをする。

有名な逸話も見方を変えると、感じ方が変わるものだと驚きました。
逸話・昔話は奥が深いものです・・・
そんなことを痛感しました。
達磨様と武帝の逸話(昔話)も私が考えているより奥が深いようです・・・

禅語に
無功徳【むくどく】
という言葉があります。
この言葉は禅宗を開いた達磨大師が禅を中国に伝えたとき、当時の中国で権力を握っていた武帝【ぶてい】に対して言った言葉です。
武帝は仏教への信仰が厚く、寺を建立したり仏教を学んだりしていました。その武帝が達磨大師がインドからやってくると聞いて大いに喜び、お話しをすることになりました。
武帝
「私はこれまで仏教を学び、多くのお経のを写し、僧侶を育て、お寺を建立したりしてきました。この私にはどのような功徳があるのでしょうか。」
達磨大師
「無功徳」
武帝
「え~、がく・・・」

無功徳とは
功徳を期待して、善根【ぜんこん:善い行い】をすることは本当の善根ではない。
との言葉です。
有名なお話ですのでご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私はこの話を初めて聞いたとき、単純に
「なるほどなぁ」
と感じていました。そして、実に分かりやすい話だとも感じていました。
しかし、先日ある和尚様にまったく違う解釈を教えていただきました。
その和尚様と話をしていると
「俺はさ、武帝って謙虚だと思うんだよね。だってあんなに勉強していて、功徳がありますかなんて聞くか?聞かないだろ!」
と言うのです。
目からウロコが大量に落ちた気持ちでした。
私のような未熟者ですら「無功徳」を知っているのですから、それだけ勉強している武帝が知らないはずがありません。
でも、あえて達磨様に質問をすることで「無功徳」やその他多くの達磨様の教えを広く広めてくださっているのだと感じました。
達磨様のことを敬い、そして教えを広める為にあえて知らないふりをする。

有名な逸話も見方を変えると、感じ方が変わるものだと驚きました。
逸話・昔話は奥が深いものです・・・
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