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南無帰依法 【なむきえほう】を日本語で説明する

 先日、仏法僧に帰依をする三帰依文【さんきえもん】南無帰依仏 【なむきえぶつ】という言葉について紹介をさせていただきました。

※南無帰依仏 【なむきえぶつ】についての記事はこちらをご覧ください。




500三帰依文1





経本に書かれた南無帰依仏 【なむきえぶつ】の言葉にも感動をしましたが、南無帰依法 【なむきえほう】にも感動をしました。




南無帰依法 【なむきえほう】の「法」は直接的な説明をするならば




お釈迦様の教え、仏教の教え




と言えます。ですから南無帰依法といえば




仏教の教えを敬い頼りにします。




と訳すことができます。しかし、東光寺(静岡市清水区横砂)の本寺である妙心寺が発行している勤行聖典【ごんぎょうせいてん】には



法とは 己【おのれ】なきの 尊さなり
当に願わくは衆生と共に、
深く教えの蔵に入りて、智慧【ちえ】海の如【ごと】くならん





と書かれているのです。




私はこれまで、「教え」を大切にすることが重要であると考えていました。




しかし、仏教の「教え」を実践したとき 己がなくなることが尊いと示されていたのです。




大切にするだけでなく、大切にしているのであれば、自然と謙虚になる。




謙虚になると言うことは 「自分が」「自分が」という出しゃばった気持ちが自然と無くなり、相手を敬う気持ちになると言うことだった
のだと、




法とは 己【おのれ】なきの 尊さなり




という一文に教わりました。そして,





深く教えの蔵に入りて、智慧【ちえ】海の如【ごと】くならん




という言葉を、拡大解釈すると




仏教の教えが詰まった部屋に入ることができたなら、そこは海のように果てしなく広い場所であろう




とも読み取ることができるのではないでしょうか。




500三帰依文9





智慧の海に飛び込むことも、仏教の教えを大切にすることであると説いているように感じます。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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