三帰依文【さんきえもん】を日本語で表現する
突然ですが、三帰依文【さんきえもん】を東光寺未確認キャラクター こまめ で表現してみました。

それは、東光寺(静岡市清水区横砂)の本山である妙心寺が発行する 勤行聖典【ごんぎょうせいてん】をじっくりと読む機会に恵まれたからです。


この中で 三帰依文【さんきえもん】の部分を読んだときに、新鮮な言葉に出会い、是非紹介をしたいと考え、「こまめ」で表現をしてみました。
普段から 三帰依文 という言葉に触れる機会は多いのですが、普段は漢文(漢字だけで書かれた文章)の三帰依文を読み、唱えています。
ですから、私にとって見慣れた三帰依文は
南無帰依仏 【なむきえぶつ】
南無帰依法 【なむきえほう】
南無帰依僧 【なむきえそう】
です。
しかし、妙心寺の勤行聖典には和訓【わくん:漢文を読みくだした言葉】で書かれていたのです。

私は
南無帰依仏 【なむきえぶつ】を
仏に帰依いたします。
と、これまで訳してきました。帰依とは敬い頼りにするという意味がありますので、
南無帰依仏には、
「仏様を敬い頼りにします」という意味があります。しかし、勤行聖典には
自ら仏に帰依し奉【たてまつ】る
だけではなく、
仏とは ひととし人の 尊さなり。
当【まさ】に 願わくは 衆生と共に 悟りの道を踏みしめて、無上位を 発【おこ】さん
と書いてありました。
仏とは人の尊さである
仏教の大切な教えを短くも的確に表現した言葉です。そして、
願わくは 悟りの道を踏みしめて
と続きます。
誰もが仏様のような尊い心をもっており、
誰もが、悟りの道を歩むことができる。

と、やはり仏教の大切な教えを的確に表現されていると感じました。

それは、東光寺(静岡市清水区横砂)の本山である妙心寺が発行する 勤行聖典【ごんぎょうせいてん】をじっくりと読む機会に恵まれたからです。


この中で 三帰依文【さんきえもん】の部分を読んだときに、新鮮な言葉に出会い、是非紹介をしたいと考え、「こまめ」で表現をしてみました。
普段から 三帰依文 という言葉に触れる機会は多いのですが、普段は漢文(漢字だけで書かれた文章)の三帰依文を読み、唱えています。
ですから、私にとって見慣れた三帰依文は
南無帰依仏 【なむきえぶつ】
南無帰依法 【なむきえほう】
南無帰依僧 【なむきえそう】
です。
しかし、妙心寺の勤行聖典には和訓【わくん:漢文を読みくだした言葉】で書かれていたのです。

私は
南無帰依仏 【なむきえぶつ】を
仏に帰依いたします。
と、これまで訳してきました。帰依とは敬い頼りにするという意味がありますので、
南無帰依仏には、
「仏様を敬い頼りにします」という意味があります。しかし、勤行聖典には
自ら仏に帰依し奉【たてまつ】る
だけではなく、
仏とは ひととし人の 尊さなり。
当【まさ】に 願わくは 衆生と共に 悟りの道を踏みしめて、無上位を 発【おこ】さん
と書いてありました。
仏とは人の尊さである
仏教の大切な教えを短くも的確に表現した言葉です。そして、
願わくは 悟りの道を踏みしめて
と続きます。
誰もが仏様のような尊い心をもっており、
誰もが、悟りの道を歩むことができる。

と、やはり仏教の大切な教えを的確に表現されていると感じました。
- 関連記事
-
- 無功徳と言われた武帝の謙虚さ (2016/11/07)
- 南無帰依法 【なむきえほう】を日本語で説明する (2016/11/03)
- 三帰依文【さんきえもん】を日本語で表現する (2016/11/02)
- なりきるって何? (2016/10/26)
- みんなが1つに戻っていく (2016/10/22)