大いなるチョコレート

法話(仏教のお話)を作ったときには、できるだけ妻に見てもらい感想を言ってもらうようにしています。
もちろん、正直な感想を聞きやすいからです。
先日、妻に法話を見てもらうと
「あなたの話しには、よく 尊い心 とか 仏様のような心 とか出てくれけど、その言葉が出てくると 話がよく分からなくなるのよね。」
と言ってもらいました。
確かに私は、「大いなる命」や「こだわりのない心」、「仏様のような心」という言葉を使います。
しかし、「心」を出してみろ言われても
「これが 心 です」
と、出すことができません。
そこで、「心」とは何かに例えることができるか考えてみました。
今回はその1つ目です。
個人的な考えですが・・・・・
心はホットチョコレートのチョコレートに例えることができます。
「 親から子へ 子から孫へと 温かい心が伝わっていきます 」
と、言うことがあります。
心が伝わる・・・
この心がチョコレートなのです。
ホットチョコレートを作る時、用意する物は

牛乳と

チョコレートです。

牛乳にチョコレートを入れても溶けません・・・・・

牛乳を温め、

さらにチョコレートを温め、

2つを混ぜ合わせると

ホットチョコレートの完成です。
親から子に「心」が伝わるときも同じではないのでしょうか。
親の心が「チョコレート」であり、子の心が「牛乳」だとします。
冷たいチョコレートと牛乳、2つを無理に混ぜようとしても混ざりません。
それぞれが「個」を主張し独立した状態です。
しかし、チョコレートが溶けるように親の「心」が柔らかくなり、牛乳が温まりチョコレートを受け入れることができるように
子供の心が親の心を受け入れる状態になれば、その2つは確かに混ざり合うのです。
そして、牛乳だけでは、チョコレートだけでは味わうことができない奥深い味になるのです。
しかし、「ホットチョコレートからチョコレートを取り出せ!」と言っても取り出すことはできません。チョコレートは入っているのに取り出せません。
同様に「子供に親の心が伝わっているなら、親の心を取り出してみろ」と言っても取り出すことはできません。
確かに親の心は伝わっているのに取り出せないのです。
おいしいホットチョコレートを飲みながら、
「心はホットチョコレートのチョコレートに例えることができる」
そんなことを考えていました・・・
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