厳しさの中にある奥深さ

子供が叱られことはよくあります。
子供は叱られて何を学ぶのでしょうか。
そんなことを考えさせられる出来事がありました。
※写真はイメージです。
法事の際に見た光景で忘れられない姿があります。
ある日の法事にお寺に来てくれたのは、
おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、そして小学校4年生の男の子でした。
玄関に入るとすぐに、おばあちゃんの大きな声が聞こえてきました。
「いつも、靴をそろえなさいって言ってるでしょ!!」
大人の私でも少し驚くほどの声で孫を叱っています。
法事の前にお茶を飲んでいただいているときも声が聞こえてきます。
「姿勢を良くしなさい!!」
やっぱり大きな声です・・・
もちろん、男の子は怖がっています。あまりの厳しさに少し心配していました。
法事が始まっても、男の子の隣にはおばあちゃんがいます。
少しでもグラグラしようものなら、おばあちゃんが厳しく叱ります。
・・・さすがに法要中なので大きな声は出しませんが、様々な方法で男の子を叱ります。
男の子は泣くこともなく、そして反論することもなく、お経の本を読みながら過ごしています。
そして、法要が進み皆さんに焼香に進んでいただく時のことです。
おばあちゃんは少し前から足を悪くしており歩くときには杖を使います。
おばあちゃんが立ち上がり焼香へ進み出たときのことです。
おばあちゃんが気付くか気付かないか分からないくらい静かに男の子が立ち上がったのです。
さして、そっとおばあちゃんの後を歩いていきます。
男の子の手はおばあちゃんの背中付近にありました。
触れているわけではありません。もちろん押しているわけでもありません。
背中に手をかざし、静かに支えているようにも見えました。
散々叱られていた男の子が、叱ったおばあちゃんを支えるように焼香に進んでいったのです。
男の子は父親や母親に言われたわけではなく、ただただ自然におばあちゃんを支えていたのです。
その姿を見たとき、とても美しい光景に感じたことを今でも覚えています。
普段から厳しく叱るおばあちゃん。しかし、感情的に怒っているのではなく、男の子のことを本気で考えて叱っていたからこそ、男の子はおばあちゃんの厳しさに中にある奥深さをじっかんしていたのではないでしょうか。そして、その奥深さを感じたからこそ なんのはからいも無く自然とおばあちゃんの背中を支えることができたのだと思います。
臨済宗妙心寺派の生活信条に
生かされている自分を感謝し 報恩の行を積みましょう
という言葉があります。
男の子は 言葉として「生かされている・・・」を理解しているのではなく、生活の中で体感をし、自然と報恩の行とも言える行動をしたのだと感じました。
叱られて、厳しさの中にある奥深い感情を理解(体感)できるのは、もちろん子供だけではありません。
自分自身も、その奥深い感情を体感するために、常日頃から「心を調えておく」ことの大切さや必要性を感じました・・・
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