後輩のために松を植えた和尚様の話し

先日、訪れたお寺の境内に美しい松の木がありました。
禅宗のお寺の境内に「松」が植えてあることがよくあります。
実は「松」が植えてあるのには理由があります。理由は、
松の葉が緑色だからです!!
緑だから??
意味が分かりませんよね・・・・
松の葉は常に緑色だからです!!
初めてお寺に松が植えてある理由を聞いたとき、私の頭の中は「???」でした。
松は季節によって葉っぱの色を変えることなく美しい緑色を保ち続けます。
仏教(禅)では私達は生まれたときから、決して変化することがない「尊い心」をいただいていると説いており、この「心」を美しい姿を保ち続ける「松の緑色の葉」で表現しているのです。
そんな、松を植える有名な話が臨済録【りんざいろく】という書物に出てきます。
巌谷栽松【がんこくさいしょう】
という言葉でも表現されるお話です。
昔、中国で修行をしていた臨済禅師【りんざいぜんじ】という和尚様がいました。
臨済禅師はある日、松を植えていました。すると師匠が
「なぜ、松を植えている?」
と尋ねます。臨済禅師は
「お寺の景観を良くするため、そして後輩たちの手本となるためです」
と答えたそうです。
後輩の手本 とはどういうことでしょう?
これは、後世の人達が常に緑色を保つ松を見たとき、その松を手本として
私達が生まれたときから決して変化することがない「尊い心」をいただいていることを思い出すことができる。
さらに、大きく成長した松を見て、先人から受け継がれてきた仏教の教えが成長して今を生きる自分達に伝わってきたことも実感できるのです。
言葉では表現しきれない尊いものを、松を用いて伝えてくださる臨済禅師の素晴らしさを表現しているように感じます。
先日、ある大きなお寺を訪ねたとき、この日はそれまで1週間ほど降り続いた雨が止み久しぶりにきれいな青空が見えていました。

私はこのとき
「今日は綺麗な青空にだなぁ。美しい!!」
と感じていました。しかし、青空から少し目線を下げると

美しい緑色の葉をつけた松が目に飛び込んできました。

このとき、
「雨が続いて悲しい」とか「今日は晴れてよかった」などと天気に心を動かされている自分の未熟さを松の緑に気付かされたように感じました。
それと同時に、臨済禅師が後輩たちの手本となるよにと植えた松が、いつでも どんな場所でも 今を生きている私達に 教えを伝えてくださっていると実感することができた気がします。
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