ジャムの味わい方

ジャムを見ると思い出す出来事があります。
(写真はイメージです)
まだ学生だった頃の思い出です。
泊りがけで友人と出かけたときに朝食にパンとジャムが出てきました。

パンもジャムも好きな私は、何も迷うことなくパンにジャムを塗り食べ始めました。
するとその姿を見た友人が
「お前はなんてもったいない食べ方をするんだ!」
と言うではありませんか。彼は、
「せっかくのジャムを無駄遣いするな!」
と怒ります。確かに、ジャムが好きな私はたくさん塗って食べようとしていましたが、無駄に塗っているつもりはありません。何が無駄なのか、どのように食べたら良いのか聞くと
「ジャムは少し塗れば十分おいしく食べることができるんだ。しかも、ジャムを塗った面を上に向けてしまったらパンの味しか分からないだろう!!パンの味しか分からないからジャムをたくさん塗ってしまうんだ!塗ったジャムが舌に当たるように向きを変えて食べてみろ!」

(ジャムが上向き)
と言うのです。彼は薄く塗ればジャムは垂れることもないし、十分おいしく味わうことができると言うのです。実際にやってみると確かにこれまでよりも少ない量でおいしく食べることができたことを覚えています。

(塗ったジャムが舌に当たる向き)
自分自身の姿勢を変えることで、少ない量で充分に味わえることを体感した出来事でした。
仏教の教えに出会うときも同じことが言えるのではないでしょう。
多くの御先祖様によって現代にまで伝えられた仏教の教えを自分自身の中に頂くとき、
正しい姿勢・こだわりのない「調った心」で教えを聴くのか、それとも自分自身の思い込みやこだわりを通して教えを聴くのか・・・
どちらが教えを受け止め、そして教えそのものを味わうことができるかは明らかです。
そして、パンを裏返して食べればジャムそのものを味わうことができるように、心を調える方法はどこか遠くにあるものでは決してありません。
坐禅(ゆったり座り、姿勢を正し、ゆっくりと呼吸)
先祖供養(仏壇の前で静かに座り、手を合わせる)
規則正しい生活
写経・布薩・法事などお寺の行事への参加
特別なことではなく、普段の生活を工夫することで、ありとあらゆる善い行いを実践することができます。そして、それらの実践が自分自身の心を調えていくことになると信じています。
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