子供に坐禅会で話したこと 第125番
東光寺(静岡市清水区横砂)の子供坐禅会では毎回お寺や仏教に関係する話しをしています。
そして、話の内容にあった「仏教豆知識シール」を参加者に配布しています。
自分自身の備忘録も兼ねて紹介させていただきたいと考えています・・・・

仏教豆知識シール 第125番 題名 【いわんや自ら廻向して】
これは、「白隠禅師坐禅和讃【 はくいんぜんじ ざぜんわさん 】」のお話です。
坐禅和讃は
衆生本来仏なり 【 しゅじょう ほんらい ほとけなり 】
といって、
「みんな、仏様のような美しい、尊い心を産まれたときからもっています。」
と始まるお経です。その中に、
いわんや自ら廻向して【 いわんや みずから えこうして 】
という部分を紹介します。
この部分は
ましてや、自分から
修行【廻向:えこう】をしてと
書いてあります。
廻向(回向)とは
功徳を積んだとき、その功徳を自分一人のもにせず、本尊様や御先祖様、世間の多くの人々に差し向けること。
を言います。
仏教ではこの廻向をとても大切にします。
それは、「私達は生きているのではなく、生かされている」という考えがあるからです。
人は、知らず知らずのうちに
「私は1人でも生きていける」
と思い込んでしまうものです。しかし、それは大きな間違いです。人は決して1人では生きていくことはできません。
直接的なつながりだけでなく、目には見えない御縁や様々なつながりの中で生きています。
自分が見には見えない様々な御縁によって生かされていることに気が付いたとき、自分自身も恩返しがしたくなってきます。
しかし受けた恩に対してだけ恩を返すのではなく、自分自身が目には見えない多くの御縁のある人に恩を受けていますので、同様に全ての人達の為に恩を返す必要があるのです。
しかし、1人1人に恩を返していくことなど無理な話です。だからこそ、修行をしたことによって得られた功徳を自分一人のもにせず、本尊様や御先祖様、世間の多くの人々に差し向けることの大切さを
いわんや自ら廻向して
という言葉を通じて白隠禅師は今を生きる私達に、多くのつながりの中で生かされていることを伝えてくださっている気がします・・・
そして、話の内容にあった「仏教豆知識シール」を参加者に配布しています。
自分自身の備忘録も兼ねて紹介させていただきたいと考えています・・・・

仏教豆知識シール 第125番 題名 【いわんや自ら廻向して】
これは、「白隠禅師坐禅和讃【 はくいんぜんじ ざぜんわさん 】」のお話です。
坐禅和讃は
衆生本来仏なり 【 しゅじょう ほんらい ほとけなり 】
といって、
「みんな、仏様のような美しい、尊い心を産まれたときからもっています。」
と始まるお経です。その中に、
いわんや自ら廻向して【 いわんや みずから えこうして 】
という部分を紹介します。
この部分は
ましてや、自分から
修行【廻向:えこう】をしてと
書いてあります。
廻向(回向)とは
功徳を積んだとき、その功徳を自分一人のもにせず、本尊様や御先祖様、世間の多くの人々に差し向けること。
を言います。
仏教ではこの廻向をとても大切にします。
それは、「私達は生きているのではなく、生かされている」という考えがあるからです。
人は、知らず知らずのうちに
「私は1人でも生きていける」
と思い込んでしまうものです。しかし、それは大きな間違いです。人は決して1人では生きていくことはできません。
直接的なつながりだけでなく、目には見えない御縁や様々なつながりの中で生きています。
自分が見には見えない様々な御縁によって生かされていることに気が付いたとき、自分自身も恩返しがしたくなってきます。
しかし受けた恩に対してだけ恩を返すのではなく、自分自身が目には見えない多くの御縁のある人に恩を受けていますので、同様に全ての人達の為に恩を返す必要があるのです。
しかし、1人1人に恩を返していくことなど無理な話です。だからこそ、修行をしたことによって得られた功徳を自分一人のもにせず、本尊様や御先祖様、世間の多くの人々に差し向けることの大切さを
いわんや自ら廻向して
という言葉を通じて白隠禅師は今を生きる私達に、多くのつながりの中で生かされていることを伝えてくださっている気がします・・・
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