月はどこにあるのか・・・・
仏教では、人は生まれたときから仏様と同様に尊い心を頂いていると説き、その尊い美しい心を「月」に例えることがあります。

仏教聖典にも
月が隠れると、人々は月が沈んだといい、月が現れると、人々は月が出たという。
しかし月は常にある。月が満ちるとか、月が欠けると人々はいうが、月は常に満ちている。
仏様も同様である。
とあります。

「こまめ」の心にも月(尊い心)があります。

心に月がある「こまめ」も月を見ることが出来ます。
どっちが本当の月なのでしょうか!?
両方とも本当の月なのです。
尊い心は命あるものすべてにあるので、どこを見ても月と出会うことがあります。
そして、尊い心が自分の中だけにあるのではなく全ての命の中にあることを実感することが出来たとき、全てが一体化することが出来るのだと思います。

お互いを想い、お互いが心を調えることで、尊い心を実感し、お互いが一体化していくはずなのです!!

仏教聖典にも
月が隠れると、人々は月が沈んだといい、月が現れると、人々は月が出たという。
しかし月は常にある。月が満ちるとか、月が欠けると人々はいうが、月は常に満ちている。
仏様も同様である。
とあります。

「こまめ」の心にも月(尊い心)があります。

心に月がある「こまめ」も月を見ることが出来ます。
どっちが本当の月なのでしょうか!?
両方とも本当の月なのです。
尊い心は命あるものすべてにあるので、どこを見ても月と出会うことがあります。
そして、尊い心が自分の中だけにあるのではなく全ての命の中にあることを実感することが出来たとき、全てが一体化することが出来るのだと思います。

お互いを想い、お互いが心を調えることで、尊い心を実感し、お互いが一体化していくはずなのです!!
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