仏の心とは何か 【だいじひ】

臨済宗の僧侶が必ずお唱えするお経に
白隠禅師坐禅和讃【はくいんぜんじ ざぜんわさん】
があり、冒頭は
衆生本来仏なり 【 しゅじょう ほんらい ほとけなり 】
と始まります。この言葉には
「全てのものは、仏様のような美しい心を産まれたときからもっています。」
といった意味があります。
では、「仏様のような美しい心」とはどのような心なのでしょうか!?
仏教聖典の中には
仏の心とは大慈悲【だいじひ】である。
と書いてある部分があります。
「慈悲」を仏教語辞典で調べますと、「慈」と「悲」に分けて説明をしてくれています。
「慈」は
他者に利益や安楽を与えることを意味し、
「費」他者の苦に同情し,これを抜済しようとする思いやりを表します。
ですから「慈悲」は
安楽を与え、苦を取り除くこと
を意味しています。
安楽を与え、苦を取り除くこと
と、言われても私は具体的な姿が目に浮かんできませんでした。
そこで仏教聖典の「仏の心とは大慈悲である。」との記述の続きを読んでみますと、
これは子を想う母のように、全ての人を救う大慈の心、人と共に病み、人と共に悩む大非の心である。
と書いてありました。
小さな子供がケガをすれば、まるで自分もケガをしたかのように共感をする母親の姿や、1人では何もすることが出来ない小さな子供を無条件の愛情で育てる母親の姿こそが大慈悲の心なのです。
もちろん、子供を育てなければ慈悲の心を体験することが出来ないわけではありません。
母親になることが出来る女性だけが体験できるものではありません。
仏様のような美しい心を産まれたときからもっています。
それを実感・体感することで、
自分自身の中にある「安楽を与え、苦を取り除こうとする心」
を大切にしていくことが出来るのではないでしょうか。
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