見方による違い
ストローを見て子供が一言

「黄色いストローだ!」
それを聞いていた、別の子供が一言

「違うよ、赤いストローだよ!」
この会話を聞いていた別の子供が一言

「黄色も赤も正解!!」
ある部分から見れば黄色
別の場所から見れば赤色
それだけのことです・・・
見る方向を変えると見え方が変わってきます。
仏教聖典の中に
一部分を見て 全てを知ることは難しいことを示す話があります。
昔、王が象を見たことのない人を集め、目かくしをして象に触れさせ、象とはどんなものなのか答えさました。
牙に触れた者は「大きな人参だ」
耳に触れた者は「扇のようだ」
足に触れた者は「臼のようだ」
尾に触れた者は「縄のようだ」
と答えたそうです。
仏教や禅の教え、そして僧侶もある一部分だけを切り抜いて見ようとしても全体を見ることは難しいものです。
四弘誓願文【しくせいがんもん】というお経の中の一節に
法門無量誓願学【ほうもんむりょうせいがんがく】とあります。
学ぶべき仏教の教えは限りなくあるが、全てを学ぼうとすることを誓う
という言葉です。
ストローだけでも全体を見ることが難しいのですから、仏教の教えを学ぼうとすることなど途方もない挑戦です。
ストローの色で盛り上がる子供達を見ながら、
難しくても挑戦し続けることで以前の自分よりも今の自分が多角的に見ることができることを実感することがあるはずです。
そのことを実感できたとき、さらに努力を続けていくことができるはずだと考えていました。

「黄色いストローだ!」
それを聞いていた、別の子供が一言

「違うよ、赤いストローだよ!」
この会話を聞いていた別の子供が一言

「黄色も赤も正解!!」
ある部分から見れば黄色
別の場所から見れば赤色
それだけのことです・・・
見る方向を変えると見え方が変わってきます。
仏教聖典の中に
一部分を見て 全てを知ることは難しいことを示す話があります。
昔、王が象を見たことのない人を集め、目かくしをして象に触れさせ、象とはどんなものなのか答えさました。
牙に触れた者は「大きな人参だ」
耳に触れた者は「扇のようだ」
足に触れた者は「臼のようだ」
尾に触れた者は「縄のようだ」
と答えたそうです。
仏教や禅の教え、そして僧侶もある一部分だけを切り抜いて見ようとしても全体を見ることは難しいものです。
四弘誓願文【しくせいがんもん】というお経の中の一節に
法門無量誓願学【ほうもんむりょうせいがんがく】とあります。
学ぶべき仏教の教えは限りなくあるが、全てを学ぼうとすることを誓う
という言葉です。
ストローだけでも全体を見ることが難しいのですから、仏教の教えを学ぼうとすることなど途方もない挑戦です。
ストローの色で盛り上がる子供達を見ながら、
難しくても挑戦し続けることで以前の自分よりも今の自分が多角的に見ることができることを実感することがあるはずです。
そのことを実感できたとき、さらに努力を続けていくことができるはずだと考えていました。
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